姫路市指定重要文化財
稲香村舎 誠塾の沿革
嘉永六年(一八五三)六月、米軍海軍のペリー提督が来航し、徳川幕府三百年の鎖国政治に夜明けを告げた頃、播州の幕府思想の花神と言われる河野鉄兜先生と河野東馬(香邨)先生の兄弟が網干に居られた。この塾は東馬先生が長州軍に参加して蛤御門の戦いに敗れ、出石藩に囚われの身となり、免責後の慶応四年、(一八六八)に開設したものである。
その後、明治新政府が樹立せられ東馬先生は太政大臣より太政官判事として召されたが塾生を守って出仕せず、その間、門弟約五百名を育成し、その中でも枢密院書記官をつとめた神楽江薫、衆議院副議長及び東京府知事を歴任した肥塚龍、政友会幹事長をした改野耕三など、優秀なる人材が知られる。
昭和二三年(一九四八)、この地に網干農学塾が開設され、農業技術、一般教養科目を、また女子には和洋裁、茶華道が教授されたが、昭和三八年(一九六三)閉塾した。近年、建物の老朽化甚だしく倒壊寸前となり、神戸大学副学長多淵敏樹先生のすすめにより地元有志によって塾を買いうけ、姫路市に寄贈して復元修理し、姫路市指定重要文化財となった。