「當麻曼荼羅」
絹本著色 一幅 234.5×229.0cm 桃山時代{天正17・1589年}大覚寺には二幅の當麻曼荼羅があり、一幅は鎌倉時代のもので兵庫県の指定文化財である。
もう一幅は制作年代が判明していて、天正17年の制作になるものである。
奈良・當麻寺に伝わる中将姫伝説の當麻曼荼羅(国宝)は、根本曼荼羅と呼ばれ、縦横4mの巨大な淨土変相図である。
大覚寺のこの桃山時代制作になる曼荼羅は四分一のサイズであるが、濃麗な彩色を残す大幅である。
軸の裏書に「後陽成天皇の宸翰」とあり、軸の銘文は後陽成天皇の筆になるものであり、大覚寺9世政天智淳上人が発願し、奈良の芝絵所の喜多房において観深法眼とその子・中将によって描かれたと記されている。
享保12年8(1727)春三月、当山23世通街上人代に京都五条通り建仁寺東の表具師・我孫子小兵衛によって修理されたという修理銘がある。
當麻曼荼羅は、正しくは「観無量寿経による淨土変相図」というべきで、中国唐代に善導大師が著した「観無量壽経」の注釈書に基づいて描かれたものであることが、浄土宗西山派の派祖・善恵房証空上人によって明らかにされた。
それ以後、数多く模写、転写され一般に普及していった。