「豊臣秀吉の【禁制】」
( )禁制(きんぜい)というのは、室町時代以後おもに箇条書きで軍隊が進攻するときに土地の者との悶着を避けるためには発せられた軍令書。
軍勢の乱暴狼藉や物資の徴発などを禁じた文書のうち、冒頭の「禁制」の文言を含むもの。
大覚寺には織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という、安土から江戸時代にかけての三人の権力者の「禁制」が保存されている。
これは「天正八年(1580)十二月六日」の日付と「筑前守」の署名のある禁制である。
信長の播州平定の前線司令官として、羽柴筑前守秀吉が網干の地下人に宛てて発したものである。
この年の四月に秀吉は黒田官兵衛を軍師として英賀城(姫路市 広畑区英賀)を攻め落としている。
英賀城主の三木氏は本願寺と通じていたので、信長にとって大きな抵抗勢力であったために攻略された。
以後、播州を攻略するためにこの禁制が発せられたようである。