三宝荒神像
( 制作年代・作者不明 )寺伝によれば、当寺は天福元年(1233)に定翁隆禅上人を開山とし、もと古網干にあって鶴林山光接院と号していたが、天文3年(1534)朝日山戦争の兵火に会い焼失した。
第7世空鑒尭淳上人は寺を再建するためにふさわしい土地を探し求めていたところ、ある日、一羽の鶴が飛び来って上人を導くように南へ飛び去った。
不思議に思い後を追ってみると、浜辺の松林に鶴がいた。そこに祠があり中を伺うと三宝荒神が祀ってあった。どうやら土地の者が信仰していたらしい。
三宝荒神は仏法を守護する神であるので、ここに新寺を建立せよ、との仏のお告げにちがいないと感じて、尭淳上人は本堂および坊舎を建立。
鶴に導かれた縁によって「鶴立山・大覚寺」と改称し、境内に三宝荒神を勧請した。
以来、網干の祖神として大切にされ、毎年6月26~28日の三日間、三宝荒神会式が勤められて、近年は「網干のゆかたまつり」と呼ばれて盆踊りが行なわれ、多くの参拝者で賑わっている。