今月の寺宝

ここでは大覚寺に伝わります
絵画・文書類を中心に御紹介していきたいと思います。

十六羅漢像(羅睺羅尊者)

(国重要文化財)
絹本著色  十六幅のうちの一幅  111.1×54.8 室町時代 

  羅漢は仏弟子として究極の悟りに達した聖者で、釈迦滅後の正法護持と衆生救済の使命を与えられた十六羅漢が多く 絵画化された。
肖像画的なもの、超人的な能力を発揮する説話画的なものなど色々な図がある。

 十六羅漢の信仰は、唐の玄奘による『法住記』訳出を契機とし、以後その高まりとともに十八羅漢、五百羅漢が描かれている。
 日本では、唐画を源流にもつとみられる平安時代の遺品があり、大和絵風の明るい温和な作風を示す。

 鎌倉時代以降もこの系統は一部で継承されたが、禅宗の興隆や旧仏教における釈迦信仰の高まりにより、盛んに請来された宋・元画の羅漢 図 が圧倒的な影響をもった。

 十六幅のセットを遺品全体からみれば、実に多岐な組合せがあり、単純な系統化は容易でない。

 (兵庫県立歴史博物館「寺院の絵画~姫路市・大覚寺」より)

■寺宝よもやま話■  ― 羅睺羅(らごら) ― 

 
 ラーフラ(羅睺羅)は、釈尊が29歳のとき、妃のャショダーラとの間に生まれた実の子です。
 その時、釈尊はすでに出家を決意しておられたので、王子の誕生を聞いて、「ラーフラ・ジャトー」とつぶやいた、と言われています。「障りが生まれた」という意味です。
それがそのまま王子の名前になりました。わが子がかわいいからこそ、出家のためには障りとなる、と感じられたのでしょう。

 釈尊が仏陀となって教団ができてから、羅睺羅も出家して釈尊の弟子となりました。
周囲からは釈尊の子という目でいつも見られているせいか、どんな小さな戒律でもきちんと守り、他の弟子たちの模範となり、「密行第一」と称せられました。
 釈尊からは、「わが弟子にして学ぶことを好む第一は、ラーフラなり」と賞賛されています。

(参考・紀野一義著「わたしの愛する仏たち」)
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羅睺羅(らごら) 羅睺羅の顔と虎