誕生釈迦仏
銅造 像高 8.0cm 重量 75.7g 奈良時代(8世紀)
潅仏会(花まつり)の本尊として用いられた小さな釈迦立像である。
上半身を裸形に作り、下半身には裳を長くまとっており、右手を上に挙げて天を指し、左手は体側に添って垂下して地を指す姿を示している。
軽く火中したらしく、右手の第一・二・三指の指先が欠失しており、鍍金もすべて落ちている。
小像で全体を一鋳で仕上げているが、少し湯の廻りがわるく、下腹部にくぼみができている。
わが国の古代誕生仏はかなりの数(8~90)が残っているが、この像も新たにその中に加えられる古い作例のひとつである。
裳の丈が長くなり、やや細身の体つきなどから製作は八世紀末頃であろう。
『揖保川流域のみほとけ』(たつの市立歴史文化資料館発行より)
■寺宝よもやま話■ ― お釈迦様の誕生 ―
キリストの誕生を祝うクリスマスほど一般的ではないが、釈迦の誕生を祝う「はなまつり」を知らない日本人はまず、いないだろう。
北方仏教の伝統によると、お釈迦様が生まれたのは、二千五百年まえのこと。
当時のインドの風習として、初めての子を出産するために、親元へ帰ろうとして途中まできた麻耶夫人は、ルンビニーの花園で突然陣痛におそわれ、一人の男子 を産んだ。
生まれた子は、七歩あるいて天と地を指差し「天上天下唯我独尊」と唱えたと伝えられている。
なにしろ旅の途中なので、産湯もなく困り果てていると、天の竜王が甘露の雨を降らせて、子の体を清めたという。
この男の子こそ、のちの釈尊なのである。
この伝説に基づいて、はなまつりには花で飾られた小さな御堂の中に、右手を天にむけ、左手を地に向けて立っている誕生仏を安置し、その像の上から甘茶を 注ぐのである。