当麻曼荼羅
(兵庫県指定文化財)
絹本着色 一幅 162.3 X 152.2 南北朝時代(14世紀)
『観無量寿経』(観経)の所説に従い図絵された阿弥陀浄土図。
唐の善導大師が著した『観無量寿経疏』(=観経四帖疏『観経』の注釈書)を直接の典拠とし、浄土図では最も完備した内容をもつ。
奈良・当麻寺の「根本曼荼羅(八世紀)」は綴織(ツヅレオリ)で著名。
これにより浄土宗西山派の祖である証空上人を中心に、多数の転写本・縮尺本が制作され流布した。
下縁・九品来迎図の阿弥陀如来を立像で描く形式。六分の一と呼ばれるサイズで、菩薩たちの表情から柔和なあどけなさが消えて彩色も明度を下げるが、依然 細緻な表現には見どころがある。
(兵庫県立歴史博物館「寺院の絵画・大覚寺」より)
■寺宝よもやま話■ ― 中将姫=法如 ―
奈良の当麻寺には、中将姫にまつわる伝説があります。
中将姫は藤原豊成の娘として誕生。幼いとき実母が亡くなるが、美しく成長し、和歌・管弦にも優れていました。
それに継母が激しく嫉妬し、姫の命をねらうまでになります。
16歳の時、浄土にあこがれ当麻寺で出家し、法如の名を授かります。
写経・念仏三昧の日を送り、阿弥陀仏を念じる法如の前に、阿弥陀仏の化身の尼が現れ、曼荼羅を織るための蓮の茎を100駄集めるように告げます。
法如の願いは天皇をも動かし、大和・河内・紀伊の国から蓮が集められ、法如と化尼は糸を紡ぎ染め上げると、観音菩薩の化身の女があらわれ、一晩で一気に 1丈5尺の曼荼羅を織り上げた、と伝えられています。
昔、女性は成仏できないとされていましたが、女人往生を説く観無量壽経の教えを図に示した当麻曼荼羅は、当寺の女性にいかに心の救いを与えたか想像でき ます。