観音菩薩立像
鋳銅製 一軀 像高 34.4cm 鎌倉時代後期
正面に化仏を表した八角形の宝冠を頭上に載せ、胸前で掌を上下に重ねて直立する。
これは長野の善光寺の本尊である阿弥陀三尊の脇侍と同じ形式を示しており、「善光寺式」と呼ばれる三尊の一軀で、宝冠の化仏により中尊の向かって右に位置する脇侍の観音であることがわかる。
木型による銅の鋳造で、両腕は別鋳して肩のところで矧ぎ付けられている。
善光寺式三尊は鎌倉後期に盛んに造られ、この像も端正な表情や作風から鎌倉後期の作と考えられる。
なお、中尊の阿弥陀と勢至菩薩は現存していない。
(兵庫県立歴史博物館「寺院の絵画・大覚寺」より)
■寺宝よもやま話■
この観音菩薩は、上の説明にあるように善光寺式の一光三尊仏(一つの光背に弥陀・観音・勢至の三尊が包まれる形式)のうちの向かって右側の菩薩です。
642年に信濃の住人本田善光という人が、現在の地に自宅を建て、百済から渡来したといわれる善光寺如来を祀ったことに始まる、と言われています。
この本尊は絶対秘仏とされ、誰もみることができません。ただ、7年に一度、本尊の身代わりとして「前立本尊」が開帳されます。
(三枚目の写真が前立本尊です。朝日新聞社刊・「仏教新発見・善光寺」より)
ことしが7年目にあたり、4月から5月にかけて50日間のご開帳が行われました。
善光寺で有名なのは、お戒壇めぐり、と言われるものです。本堂の右奥にある階段を下りて、真っ暗な回廊を巡り、本尊の下にかかっている錠前に触れることで本尊と結縁を果たし、極楽往生ができるといわれています。