白衣観音図
紙本墨画 一幅 110.8×45.0 江戸時代(17世紀)
雲谷等的筆
雲谷等的(1606~64)は、先に紹介した達磨図の作者雲谷等屋の長男である。
父の等屋が早逝したため叔父である雲谷等益に引き取られそこで画技を学んだ。
比較的多くの作品が残っているが、作風は等益に似たものが多い。花鳥図屏風(心遠館)、西湖図屏風(瑞泉院)などは代表作である。
本図には「雲谷」(白文円印)「等的」(朱文方印)が捺されるが、等的の作品に捺される印はこの二印が殆どである。
(兵庫県立歴史博物館発行「寺院の絵画・大覚寺」より)
■寺宝よもやま話■ ~ 白衣観音 ~
インドでは出家者の着る黄色い衣に対して、白い衣は在家、つまり俗人の衣の色です。
白衣観音は俗人の姿をして人々を救うために現れたのです。
白い布を頭からかぶり、ゆったりとした白衣を着て岩の上に静かに座った姿は親近感をあたえ、庶民の素朴な信仰を反映したものとして、水墨画に描かれるこ とが多いのです。
神奈川県の大船や、群馬県の高崎に巨大な観音が作られていますが、どちらも白衣観音です。
息災と徐病にご利益があり、さらに安産や子育ての観音さまとして信仰されています。