十一面観世音菩薩立像
木造 像高 四尺六寸(約150cm) 観音堂の本尊寛文11年(1634)、現在の本堂再建と同じ年に、岡部宇右衛門知辰が早世した娘の供養のために、観音堂とともに一建立で寄進された。
若くして亡くなった娘を思う親の慈愛が、相好に感じられる。ふっくらとした頬と、切れ長のまなざしと、丸みをおびた肉付けに、十代の娘の溌剌さと憂いを たたえたような表情が読み取れる。
頭部の十一の顔には、人々の苦しみを救う力が秘められている。前三面を菩薩面、左三面を瞋怒面、右三面を狗牙上出面とし、頂上の仏面とあわせて十一面と なる。
当寺のお堂のなかで、薬師堂と並んで人々の信仰厚く人気のある菩薩である。
江戸時代から揖保西国三十三所の第7番霊場であり、
ご詠歌を
「かの岸に至らば誰も世の夢は、おおいに覚むる寺の名としれ」
という。