維摩像
絹本墨画 一幅 121.7×58.6 江戸時代(18世紀)
加藤文麗筆
「従五位下伊豫守入道滕文麗都画」の署名と白文方印、「滕泰郁」(朱文方印)がある。
作者の加藤文麗(1706~82)は、名を泰都、予斎と号す。
伊予国大洲藩主加藤泰恒の六男として生まれ、後に大叔父加藤泰茂の養子となる。
画は木挽町狩野家の周信(1660~1728)に学んだとされ、代表作には建仁寺開山堂方丈の龍虎図がある。
一般には、谷文晁(1763~1841)の最初の師としてよく知られている。
文麗は寛延三年(1750)十二月十八日に従五位下に叙されている(惇信院殿御実紀)から本図の制作年代も、それ以降だと考えられる。
右手に払子をもつ維摩の姿を墨のみにより描いた略筆の作品である。文麗の作品には、このような略筆による墨画が多い。
なお、画面裏には「維摩之聖像 大覚寺什寳 行空俊學寄付」と「文化三年(1806)丙寅四月下旬然空代表補 表具師苦瓜治兵衛」の墨書がある。
(兵庫県立歴史博物館発行「寺院の絵画・大覚寺」より)