大覚寺のご紹介

人生を健やかに生きていくための説法を
毎月、御紹介していきたいと思います。

2008年(平成20年)4月のミニミニ法話・お説教

2008年(平成20年) 4月

玄禮和尚のお説法

2008年(平成20年) 4月

~一連托生~  (『風韻抄』 P.100)

 妻は夫をいたわりつつ、夫は妻を慕いつつ。
 浪曲「壺坂霊験記」の文句そのままの夫婦があった。ただし、頃は四月の中の頃の話である。
 五年あまり寝たきりの妻を、夫はつききりで看病していた。が、看病疲れもあって、九十二歳の夫が先立った。寝台車で病院から連れて帰られた時、娘が母親に大声で知らせた。

「お父さんが、今、病院から帰ってきたよ!」

 その時、耳も聞こえず口もきけず、ずっと無表情だった八十八歳の妻が、突然大粒の涙をポロポロこぼした。「痴呆症」のはずの妻が、久しぶりに見せた人間らしい感情表現だった。

「おじいさんは、このおばあさんを残して逝くのが心残りだろうなあ」

と、遺族のみんなが思った。
ところが、夫の通夜の日。まるで跡を追うように、という言葉どおりに妻が息を引き取った。
急遽、祭壇の前の夫の棺の横に、妻の棺が並べられた。
 翌日、二人の葬儀が一緒に行われた、二台の霊柩車に分乗して、夫婦は寄り添うように浄土へ旅立っていった。

「ほんとに仲の良い夫婦だったんやね」
「おじいさんは、おばあさんのことが気掛かりで、ほっておけなんだのやろ」

 会葬の者が、そう言いあった。
生まれた時は別々でも、死ぬ時は一緒―これを「偕老同穴の契り」という。
夫婦別墓、死後離婚、などという風が流行る昨今。共に三途の川を渡り、一蓮托生を果たしたこの夫婦はまことに幸せである、といえよう。

「阿含経」の中に、面白い話がある。
 昔、インドに大金持ちの男がいた。もともと男尊女卑の国であるから、一夫多妻はめずらしくない。この男には四人の妻があった。

 金持ちであろうとなかろうと、老病死はまぬがれない。年老いて死が近づいた時、男は一人であの世へ行くのが心細くなった。四人の妻のうち、誰か一人を選んで一緒に行こうと考えた。
ある日、第一夫人に向かって男は、

「すまんがお前、一緒に死んでおくれ」

と頼んだが、さんざん可愛がってやったはずの妻の返事は冷たいものだった。

「夫婦とはいえ、所詮は他人。この世限りとおあきらめ下さい」

第二夫人も同様に「冗談じゃないわ」と、けんもほろろ。
第三夫人は、「墓まではお供しましょう」という。
大切にするどころか、何も構ってやらず粗末にしてきた第四番目の夫人だけが、

「どこまでもついてまいります」

と答えたのであった。

 さて、この話を現実に当てはめると、
 第一夫人とは、私たちの肉体のこと。第二夫人とは、自分の地位・名誉。第三夫人は、妻子や親族。どこまでもついていくという第四夫人とは、一生の間の善行・悪行、一切の行為のこと。
 肉体や地位、名誉、そして妻や子供は、自分の死後の世界までつれていけない。行為(業)だけが次の世までついてくる。

 業、という自分の実態を正しく見ることで、新しい人生を開いていこう、という教えなのである。

法話一覧へ