2008年(平成20年)5月のミニミニ法話・お説教
~第002回 「恩送り」~
釈尊一代の教説は八万四千の法門といわれるほど数多いのですが、「削り、纏め、要約し、漢字のたった一文字に表すならば、それは 『恩』をいう一字に凝縮される。」と教えてくださったのは、京都東山の永観堂禅林寺八十七世東空準玄上人でした。それから四十年、いつもこの教えを念頭に 置きながら布教の道を歩んできました。
その間、私自身が実に多くの方々から恩を受けてきたことを、しみじみと知らされます。中でも東空上人から蒙った学恩の大きさは図り知 れません。その恩に報いること少ないまま、昨年二月に上人は遷化されました。今、なにをもってお報いすればいいのでしょうか。
恩という字は「因」と「心」の組み合わせで成り立っています。因は「もと」と読みます。「もとを思う心」、それが恩なのです。何のもとかといえば、それ は私たちの命の源です。私一人の命がこの世に存在するためには、両親・祖父母・曽祖父母と三代遡るだけで14人の「親」と呼ばれた人がありました。十代・ 二十代と遡れば、その数は数万になります。多くの命によって、私の命が支えられているのです。
「振り向けばお世話になりし人ばかり」
という句が示すように、さまざまなご縁とご恩によって今の私の命が存在するのです。
仏教の基本は、恩を知り恩を感ずるという「知恩・感恩」にあり、さらに恩に報いるという「報恩」へと拡がっていきます。報恩の実践には二通りあって、一つ
は「恩返し」、つまり親や祖父母や師など直接恩を受けた人にお返しすることです。
もう一つ「恩送り」という言葉があります。受けた相手に限らず、恩を別の誰かに送る。その誰かがまた別の誰かに送る。これが「恩送 り」で、そうやってみんなが繋がっていき、そこに「和」が生まれてくるのです。
受けた教えを一人でも多くの人に伝えていこう。それが私の恩送りです。