2011年(平成23年)10月のミニミニ法話・お説教
2011年(平成23年)10月
~ 第043回 「野の花のいのち」 ~
秋の七草を全部いえますか?
「ハスキーなおふく」と覚えておくといいのです。ハギ・ススキ・キキョウ・ナデシコ・オミナエシ・フジバカマ・クズ。
古来、ハギ(萩)は七草の筆頭に挙げられ、つつましく、控えめな花の姿が日本人に好まれて、歌にも多く詠まれています。一つだけ選ぶなら「秋萩の花咲く頃 は来てみませ 命またくば共にかざさむ」という良寛さんの歌が好きです。
「行き行きて倒れ伏すとも萩の原」
これは松尾芭蕉とともに奥の細道を旅した弟子の曾良の句です。
旅の途中の北陸路で病に倒れた曾良は、師匠と別れて一人帰ることになりました。「師匠の供をできぬ悔しさ。江戸へ戻る旅の途中、行き倒れて死ぬかもしれぬ 悲しさ。
しかし、自分もまた風雅を愛する者として同じ死ぬなら、萩の花の咲きみだれる野原で死にたい。」そんな曾良の痛切な思いが感じられる句です。
萩や桔梗に並んで、最近はナデシコも有名になりました。七草のほかにも彼岸花、水引、吾亦紅、コスモス、蓼(たで)、アカマンマなど、秋の野の花には可 愛い草があります。
道端に雑念と生えている雑草も、思い思いの色や形の花を咲かせています。昭和天皇が、かつて「雑草という名前は少し侮辱的な感じがして好まない」と語ら れたそうですが、生物学者として、懸命に可憐な花を咲かせる野の草の生命力に感動された御心境なのでしょう。
確かに十把ひとからげに雑草といっても、その一本一本にはきちんと名前がついています。
「草の花ひたすら咲いて見せにけり」久保田万太郎。
野の草花も皆「いのち」を与えられて、懸命に生きているのです。
「いのち」という讃仏歌があります。
1、 野の花の小さないのちにも 仏は宿る
朝かげとともに来て つつましい営みを与える 同じように
2、 白露のはかないいのちにも 仏は宿る
月代(つきしろ)と共に来て 一夜さの安らぎを与える 同じように
秋という季節がもたらす風光のためか、野の花といい、白露といい、月代といい、秋を詠った詩歌はどこか悲しみが感じられますね。
善導大師は「華を採って水を与えず日中に置けば、たちまち色を失うだろう。人の命も同じだよ」と教えられています。与えられたいのちを精一杯、咲ききりた いものです。花のように。