2011年(平成23年)5月のミニミニ法話・お説教
2011年(平成23年)5月
~ 第038回 「心遣いと思いやり」 ~
東日本大震災が起きてから、テレビの広告に毎日出てくる詩があります。
「こころ」はだれにも見えないけれど / 「こころづかい」は見える
「思い」は見えないけれど / 「おもいやり」はだれにでも見える
これは「行為の意味---青春前期のきみたちに----」という詩の一節で、宮澤章二さんの作品です。
世の中には、自分の力を信じないで愚痴ばかりいう人がいます。
「自分になにができるっていうんや。なあ、知れてるやろ。俺なんかより偉いやつは、いっぱいいるんや」
また、遠慮深いといえば聞こえがいいが、要するに引っ込み思案の人もいます。
確かに、一人の力は知れているかもしれません。だからといって、心に思いながらなにもしない、やろうと思うことをやらないでは、なにも生まれません。
残るのは、後悔と無力な自分に対する怒りだけです。 生まれつきの性格なんだから、と思い込んでしまっていること自体、すでに視野が狭いことになります。
思いは行動に移して初めて「思いやり」となって相手に伝わるのです。
宮澤さんの詩は、次のように続きます。
あたたかい心が あたたかい行為になり / やさしい思いが やさしい行為になるとき
<心>も<思い>も初めて美しく生きる
-----それは 人が人として生きることだ
やってみれば反省も生まれます。自分は人として人に何を与えることができるか。物があれば物を。お金があればお金を。力があれば力を。知恵があれば知恵 を。救援金や救援物資の提供、瓦礫撤去の手伝い、チャリティイベント、さまざまなボランティアがあります。
被災地で苦しむ人々に笑顔が戻るように、自分に出来る「心遣い」はなにか。なにもなければ、せめて苦しみや悩みを受け止め、共に泣くことのできる「同 悲」の心だけは持ち続けたいものですね。
そこから、ささやかでも人に対する積極的な行為が生まれてくると思うのです。