2011年(平成23年)6月のミニミニ法話・お説教
2011年(平成23年)6月
~ 第039回 「永観堂の悲田梅(ヒデンバイ)」 ~
例年より十数日早い入梅となりました。
梅の実が熟す時期に降る雨なので「梅雨」というのだそうです。梅雨にもいろいろ呼び名があって、激しく降ってサッとやむ雨を「男梅雨」、しとしとと長く振 り続くのを「女梅雨」。
集中豪雨になると「荒れ梅雨」とか「暴れ梅雨」といい、黴(かび)が生えやすくなるので「黴雨ばいう」ともいうそうです。
季節の移ろいを敏感に感じ取り、細やかな心配りをするのが昔からの日本人の美徳なのですが、このたびのような大きな災害にあうと、ショックが大きすぎて心 のゆとりもなくなるのでしょうか。
自坊の大覚寺の本堂の前に梅の古木があり、「今年は実がたくさん付いてます。文字通り鈴なりですね」と家人が電話で報告してくれました。どうやら梅干 に、梅酒に、と張り切っているようです。
紫蘇の働きで赤く染まった梅干には、解毒作用があるといいます。枝にも邪気を払う霊力がある、と昔から信じられていて、お墓や仏壇の開眼供養の儀式に香水 (こうずい・抹香を混ぜた水)を振りまく撒杖も梅の南側に伸びた枝を使います。
大法輪という仏教誌に、酒井大岳師が「梅の一生」という次の詩を紹介しておられました。
「二月三月花盛り。鶯鳴いた春の日の、楽しいことも夢のうち。五月六月実がなれば、枝から振るい落とされて、何升何合計り売り。
もとより酸っぱいこの体。塩につかって辛くなり紫蘇に漬かって赤くなり、七月八月暑いころ、三日三晩の土用干し。思えばつらいことばかり。
これも世のため人のため。皺はよっても若い気で、小さな君らの仲間入り。運動会にもついていく。まして戦のその時は、なくてはならぬこの体」
人の一生を梅になぞらえてユーモアを交えた楽しい歌ですね。
本山禅林寺の第7世・永観律師は、弱者救済に命をかけた人でした。境内に薬草を植えて施薬院を造り、梅を育てて実を健康食として貧者や病人に惜しげもな く分け与えた、といわれています。
この永観律師の慈悲の行為を讃えて、京の庶民は禅林寺を「永観堂」と親しみを込めて呼び、律師の植えた梅を「悲田梅」と敬意を込めて呼び伝えました。悲田 とは、苦難を受けている人への思いやりの心。
そして900年後、何代か植え代わって、今もなお悲田梅は花を咲かせ、実をころころ落としています。梅の実の熟するうるおいの中で、甘酸っぱい香りとと もに人を思いやる心の大切さを、私たちに伝えるように。