2011年(平成23年)7月のミニミニ法話・お説教
2011年(平成23年)7月
~ 第040回 「初心忘るべからず」 ~
六月の初め、久しぶりに平安神宮での薪能に出かけました。62回を重ねるこの日、「養老」「自然居士」「井筒」「石橋」の能4演目に、狂言「金津」が上 演されました。
夕焼け空と朱色の社殿を背景に始まり、途中で篝火へ火入れ式があり雰囲気は最高潮。「命には終りあり。能には果てあるべからず」という世阿弥の言葉を思い 出しながら、幽玄の世界を堪能したのです。
世阿弥の著で、わが国最高の芸術論である「風姿花伝」は、人生論としても勝れた内容を持っています。この中に「初心忘るべからず」という有名な言葉があ り、初心には三種あることが具体的に述べられています。
(1) 是非初心忘るべからず
能楽を習い始める7歳のころは、良い(是)と褒められても悪い(非)と注意されても嬉しく上達していくが、あまりひどく叱るとやる気をなくしてしまう。こ れを「是非初心」といっています。
(2) 時々の初心忘るべからず
24,5歳の青年期は大事な時で、若盛りの一時的な「花」があって名人に勝るところもあるが、これを上手だとうぬぼれると当人にとって害になる。この時期 に必要なのが「時々の初心」なのです。
(3) 老後の初心忘るべからず
44,5歳を過ぎると、外見の華やかさは薄れていくけれど、熟練の年とともに失わない「花」があれば、それこそ「真の花」である。この時期に「老後の初 心」が大切なのです。
特に70歳になる私には、この「老後の初心」が心に響きます。老人と呼ばれるようになると、体や顔つきが年寄り臭くなって醜くなるのは仕方ないとしても、 せめて心まで醜くならないように心がけたいものです。初心に帰ることがいかに大事かを、この言葉から学ぶことができます。
いつも生き生きとして情熱に燃えて生きている人。いつも朗らかで側にいる人まで明るく生き生きさせる人。その人に接するとこちらにも熱い心が伝わってく る人。
こういう人は幾つになっても「初々しさ」を持ち続けている人です。いつも人の幸せを願いながら努力する人を「菩薩」といいます。菩薩は永遠に若いのです。
せめて若々しく情熱に溢れた人生を、歩みたいものですね。