大覚寺のご紹介

人生を健やかに生きていくための説法を
毎月、御紹介していきたいと思います。

2012年(平成24年)10月のミニミニ法話・お説教

2012年(平成24年)10月

玄禮和尚のお説法

2012年(平成24年)10月

~ 第055回 「月見る月は多けれど」 ~

 旧暦では7・8・9月が秋であり、8月は中の月なので「仲秋」といいます。

それで8月15日の満月を仲秋の名月として、月見や俳句の会を開いて美しい月を愛でる行事がもたれてきました。新暦での今年は9月30日。台風の影響で雨月となりました。

 「月々に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月」という歌があります。

私はどちらかといえば、一ヵ月後の十三夜の月が好きです。深まり行く秋の夜空に輝く「後の月」(10月27日)に期待しているのです。

 名月を鑑賞する会は、もともと中国の中秋節に倣ったもので、その昔は公家などの上流社会の遊びでした。ススキを活けて団子や秋の果物を供えて、庶民の間で月見の風流を楽しむようになったのは、江戸時代からだといわれています。

 その頃のこんな話が伝わっています。

ある俳句の会に一人のみすぼらしい旅人が仲間入りをしました。煌々と輝く月の下で、宗匠たちが「十五夜の」とか「名月や」など、自分の句を披露しはじめました。

やがて旅人の順番になって、おもむろに
「三日月の・・・」と詠み始めたものですから、まわりから軽蔑の笑いが起こります。

満月を見ながら「三日月の・・」は、おかしいですね。ところが、その後に
「ころより待ちし今宵かな」と続いた句に、一瞬みんな静まりかえり、やがて賞賛の声が上がりました。

「三日月のころより待ちし今宵かな」
旅人は小林一茶と名乗って立ち去ったといいます。粋な話ですね。

 月影のいたらぬ里はなけれども ながむる人のこころにぞすむ

法然上人のお歌です。「月の光はどのような所にも至り届くように、阿弥陀仏の慈悲の光もすべての人を隔てなく照らしている。その光に気付き仰ぐ人のこころには、より一層澄み輝いている」という意味です。

 月を眺めるということは、夢や希望を失わないということでもあります。私の周囲に私を見守り支えてくださるものがあり、人がいる。

そこに感謝するこころと夢や希望を持ち続ければ、いつも私たちは守られながら明るく生きることができるのです。

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