2012年(平成24年)2月のミニミニ法話・お説教
2012年(平成24年)2月
~ 第047回 「泥かぶら」 ~
美しくありたい、と願うのは、なにも女性に限ったことではありません。年齢・性別に関係なく、誰もが持っている願望です。
かつて早稲田大学の教授であった会津八一先生(1881~1956)は、門弟の一人に宛てて書かれた手紙の中に、「美しき人になりたく候」という言葉を残しておられます。美しき人、とはどういう人か。
昔、ある村に身寄りがなく顔の醜い少女がいました。髪はそそけだち顔は泥まみれで、まるで泥のついた蕪のような顔なので村人から「泥かぶら」と呼ばれていました。
時には邪魔だからと川になげこまれたり、子どもたちからも「汚い! 臭い!」とつばをかけられたり、親なしっ子だと石を投げられたりしました。
ある時、泥かぶらは旅のお坊さんに「きれいになりたい!」と泣いて訴えました。その時、旅のお坊さんは、こうすれば美しくなれる、と三つのことを教えました。
「自分の醜さを恥じないこと。いつもにっこり笑うこと。人の身になって思うこと。」
美しくなりたい一心で、彼女はいじめっ子の罪をかぶったり、病人のために危険を冒して薬を取りにいったりするうちに、人のために尽くす喜びを知りました。
また、村人の泥かぶらを見る眼が、優しく変わってきました。こうして泥かぶらは、村人の心を明るくし、仏さまのように美しい少女になりました。
真山美保さん作の「泥かぶら」。この話はどの子どもも本来持っている美しい心や、人への思いやり、困難にも耐える強さは、どうすれば引きだされるかを教えています。
人は「生まれ」によらず、「どのように生きてきたか」「どういう出会いを重ねてきたか」という「生き方」によってそれぞれの「顔」が作られていく、といいます。そして、自分が変わることで周囲も変わっていくのです。
本当にいい顔というものは、年輪を重ね、人生経験を積み上げ、いくつになっても美しいものに感動する心と感謝の心によって作られるもののようですね。