2012年(平成24年)7月のミニミニ法話・お説教
2012年(平成24年)7月
~ 第052回 「如自当知(にょじとうち)」
~ 第052回 「如自当知(にょじとうち)」
(汝、自らまさに知るべし) ~
「この世にいじめがなくなりますように」
という遺書を残して自殺した少女がいます。
この中学校では、なんどもクラスでの話し合いを重ね、全生徒が「いじめ」をなくす決議をし、自殺した彼女の追悼 会で誓い合ったのです。
その決議というのは
⑴ まわりの状況に流されない。
⑵ いつも相手の心を考えて、言ったり行動したりする。
⑶ 特定の友達を避けたり、無視したりしない。
⑷ そして、互いに良いところを認め合う。
言葉でまとめたら、きわめて当たり前のことばかりです。けれど、これは一人の仲間を失った悲しみに沈みながら、真剣に考えぬいた掛け替えのない決意なのです。
「この世にいじめがなくなりますように」と、命をかけた問いかけと願いに対して、一人で、あるいは友達たちと、教室で、更には家庭で、彼らは何度となく考え悩んだことでしょう。
そして、たどり着 いた結論が上記の四項目だったのです。
人は誰でも自分を認めてもらいたい、という願いを持っています。だから差別されたり無視されることは、自分の人間性を否定されることであり、なにより辛 いことです。
そのことに気付いたからこそ、相手の心を考え、周りの状況に流されない強い人間であろうと決意したのです。忘れてほしくないのは、その途中の 苦しかった心の経過です。
いじめを考えることは、結局は自分の心を見つめ、広く人間関係に思いを巡らすことになるのです。
たとえば、「互いに良いところを認めあう」というけれど、果たしてどの程度、人と人との人間関係が構築されているでしょうか。
あまりにも他を見つめす ぎ、他人の欠点ばかりが目に付き、批判ばかりしていることはありませんか。親子、夫婦の間でさえ、とかく欠点ばかりに目が向きやすく、それが我々人間の弱 さであると釈尊は述べておられます。
「汝自当知」 (汝、自らまさに知るべし)
人を批判する前に、私自身の心の有り様をしっかり見つめよ。まず自分自身を正しく知れ、という教えです。いじめや差別のない社会は、このような深い宗教 的な自己反省から生まれてくるのです。
そして「良いところを互いに認めあう」という人間関係も結ばれてくるのです。