2008年(平成20年) 11月
~ 第004回 「タバコの出逢い」 (後編) ~
仕事の終りがようやく見えてきた午後5時頃、例の社長さんが傘をさし、花環屋さんから渋滞を渡って私に近づいて来ました。「今日はど
うしたんだろう」「また何か頼まれるのかな…」と思っていると、
微笑みながらそう言うと、傘を肩に挟んで上着のポケットから何かを取り出しながら、
「大丈夫か、今日は寒いやろ。つまらんもんやけど感謝のしるしや、これでも吸うて寒さをしのぎや。」
あっけにとられている私の手を掴んで、手のひらにタバコを置いて駆け足で帰って行きました。
視線を落とすとセブンスターが2箱ありました。
あっと思って目をあげると、社長さんは会社の入り口で傘を畳んでいました。
お礼を言うことも忘れ、ただボー然と立ち尽くしている私に、社長さんは振り向いて手を挙げ、「礼はいらんよ」という風に中に入って行きました。
ジーン…でした。うれしくて涙が込み上げてきました。
「これは吸わなあかんやろ…」そうつぶやいて、頭の中では「タバコってどうやって吸うんやったっけ」と考えていました。そうです。それまで吸ったことがな かったからです。
「とりあえず火やな」と思いついて、あることを思い出しました。花環屋さんの並びにタバコ屋さんがあったことを…。
仕事は最後のトラックが出て行くのを誘導すれば終わりで、瓦礫を積み込むのを待っている状態だったので、現場監督にことわって100円ライターを買いに走 りました。
「シー…って感じでゆっくり吸うんや。」
卒業式の打ち上げで、初めてタバコを吸う友達に別の友達が教えているのを思い出しながら現場に戻り、一本取り出して火を点けました。
そーっとゆっくり吸いこんだおかげか、初めての割にはむせることもなく肺に煙を入れました。今度は胸がジーン…としてきました。
涙がぽろぽろこぼれ出て、頬の雨粒と混じって顎につたっていきました。
この現場に当たるまでは辛い思い出しかない最悪のバイト。ドライバーに怒鳴られ、工事のおっさんに八つ当たりされ、経験したことのない屈辱と感謝されたこ とがない仕事の疎外感。
それだけに人の優しさのありがたさ、尊さが心に沁みました。
タバコの煙の温かさか、人の優しさにふれた温かさか今でもよくわかりませんが、胸がじんわりあったかくなっていました。人に感謝されることの何ともいいよ うのないうれしさに、そして社長さんの優しさに包まれていました。
― ひとの世の幸不幸は 人と人とが逢うことからはじまる よき出逢いを ―
相田みつをさんの言葉です。
人と人との出逢いの不思議さ、尊さがいかに大切であるかを教えてくれます。花環屋の社長さんとの良き出逢いが、不幸なバイトの経験を優しさに包まれた思い 出に変えてくれました。
初めの“taspo”の話に返りますが、自販機という既に充分便利な機械を、さらに使いにくくするようなことに疑問を感じます。それよりも映画の『3丁目 の夕日』に出てくるような、昔ながらのお年寄りの営むタバコ屋さんが消えていくことに寂しさを感じるのは私だけでしょうか。そこにはたくさんの人と人との 触れ合いと出逢いがあったでしょうに…。
全国にあるすべての自販機を無くしたら、かなりの温暖化の軽減になるという話を聞いたこ とがあります。同じ税金を使うなら、いっそのこと自販機の存在そのものを考えるというのは極論なのでしょうか。便利な世の中になったからこそ失われていく ものに、大切な何かを一緒に奪われている危機感を感じるこの頃です。
そう言えば…、いきなりセブンスターはハードルが高かったようで、しっかり肺まで吸い込んだ結果気持ち悪くなり、帰りに地下鉄のトイレでもどしてしまっ たことを付け加えておきます(笑)
そして、2年後に今度はタバコをやめる新たな出逢いがあったことも…。
※【お詫び】 7月の中編から今回の後編まで3か月かかってしまいました。ひとへに私の文章力のなさ表現力の拙さが、このような恥ずかしい延期につぐ延期 という結果を招きました。深くお詫び申し上げます。
これからは、背伸びをせず自分の実力にあったものを毎月書いてまいります。楽しみにしていただいていた皆さん、本当にすみませんでした。