2013年(平成25年)10月のミニミニ法話・お説教
2013年(平成25年)10月
~ 第067回 「二度とない人生を」 ~
「浜までは海女(あま)も蓑(みの)着る時雨(しぐれ)かな」 滝 瓢水(ひょうすい)
上の句は江戸時代中頃の俳人・滝瓢水の作です。瓢水は貞享2年(1684)播州別府(べふ)、現在の加古川市別府に生まれました。
千石船を七艘も持って海運業を営む豪商の家でしたが、彼一代で放蕩のため財産を費消し、極貧を苦ともせず名の通り水に浮かぶ瓢箪のごとく飄々と風流の道に 遊んだ人です。
彼の作品の中には、大阪の知己が遊女を身請けするというのを誡めて「手に取るなやはり野に置け蓮華草」とか、母の死後に墓に詣でて「さればとて石にふと んも着せられず」という句を創っていますが、これが瓢水の作であることはあまり知られていません。
ある時、一人の旅の僧が瓢水の評判を聞いて住居を訪ねると、あいにく留守なので近所の人に尋ねたところ「風をひいて気分が悪いので医者に薬を貰いにいっ た」とのこと。
それを聞いた旅の僧は「生死煩悩を離れて悟道の境地にあると聞いていたが、たかが風邪くらいで医者にかかるとは娑婆に未練のある証拠。取るに足りない似非 坊主なら教えを乞う必要もない」と罵り去っていきました。
医者から帰ってそのことを聞いた瓢水は、近くの若者に僧を追わせ一枚の紙切れを手渡させました。そこには「浜までは海女も蓑着る時雨かな」と書いてあった のです。
時雨は晩秋から初冬にかけて降る雨で、一時だけ強く降る通り雨のことです。
---これから海に入って仕事をする海女が、急に降り出した雨をさけるために蓑を着て浜まで行った。どうせ海に入れば濡れるのだから蓑など着る必要はない のだが、浜までは濡れずにいきたい---
という海女の気持ちを詠んだものです。
どうせ長くない命とわかっていても、折角人間として生まれてきたこの命だから、最後の最期まで愛おしみ大切にしよう。二度とない人生だから、あきらめず 投げ出さず、あせることなく最善を尽くして感謝の日暮しをしよう。
瓢水の句は、そのことを私たちに教えてくれているのです。
上の句は江戸時代中頃の俳人・滝瓢水の作です。瓢水は貞享2年(1684)播州別府(べふ)、現在の加古川市別府に生まれました。
千石船を七艘も持って海運業を営む豪商の家でしたが、彼一代で放蕩のため財産を費消し、極貧を苦ともせず名の通り水に浮かぶ瓢箪のごとく飄々と風流の道に 遊んだ人です。
彼の作品の中には、大阪の知己が遊女を身請けするというのを誡めて「手に取るなやはり野に置け蓮華草」とか、母の死後に墓に詣でて「さればとて石にふと んも着せられず」という句を創っていますが、これが瓢水の作であることはあまり知られていません。
ある時、一人の旅の僧が瓢水の評判を聞いて住居を訪ねると、あいにく留守なので近所の人に尋ねたところ「風をひいて気分が悪いので医者に薬を貰いにいっ た」とのこと。
それを聞いた旅の僧は「生死煩悩を離れて悟道の境地にあると聞いていたが、たかが風邪くらいで医者にかかるとは娑婆に未練のある証拠。取るに足りない似非 坊主なら教えを乞う必要もない」と罵り去っていきました。
医者から帰ってそのことを聞いた瓢水は、近くの若者に僧を追わせ一枚の紙切れを手渡させました。そこには「浜までは海女も蓑着る時雨かな」と書いてあった のです。
時雨は晩秋から初冬にかけて降る雨で、一時だけ強く降る通り雨のことです。
---これから海に入って仕事をする海女が、急に降り出した雨をさけるために蓑を着て浜まで行った。どうせ海に入れば濡れるのだから蓑など着る必要はない のだが、浜までは濡れずにいきたい---
という海女の気持ちを詠んだものです。
どうせ長くない命とわかっていても、折角人間として生まれてきたこの命だから、最後の最期まで愛おしみ大切にしよう。二度とない人生だから、あきらめず 投げ出さず、あせることなく最善を尽くして感謝の日暮しをしよう。
瓢水の句は、そのことを私たちに教えてくれているのです。