大覚寺のご紹介

人生を健やかに生きていくための説法を
毎月、御紹介していきたいと思います。

2013年(平成25年)12月のミニミニ法話・お説教

2013年(平成25年)12月

玄禮和尚のお説法

2013年(平成25年)12月

~ 第069回 「我、八十にして・・」 ~

 孔子の述べた「論語・為政篇」には、今も有名な言葉があります。

「我、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳従う。七十にして心の欲する所に従えど矩(のり)を踰(こ)えず」

 これは、次のように訳されています。

「私は十五の年に聖賢の学に志し、三十になって一つの信念をもって世に立った。しかし、世の中は意のままには動かず、迷いに迷ったが、四十になって物の道理が分かるにつれ迷わなくなった。

五十になるに及び、自分が天の働きによって生まれ、また何ものにも代えられない尊い使命を授けられていることを悟った。六十になって、人の言葉や天の声が素直に聞けるようになった。

そうして七十を過ぎる頃から自分の思いのままに行動しても、決して道を踏み外すことがなくなった」(「論語一日一言」致知出版社刊)

あなたは今、どの部分に差しかかっておられますか。昔から人の生きる目標として、これほど日本人に大きな影響を与えた文章はないでしょう。

 志学・而立・不惑・知命・耳順・従心 と縮めて愛用されてきました。ほぼ十年ごとの節目での自己完成の規律が、分かりやすく示されています。

肝心の孔子さまは74歳で亡くなりましたから、七十にして心の欲する所に従っても、決して人の道を踏み外さない心境での大往生だったのでしょう。

ところが、その為に80歳以後の生き方が示されていません。我八十にして・・というのが永遠に空白になってしまったのです。

 いかに中国とはいえ、当時の74歳といえば超高齢でしょう。もし仮に孔子がもっと長生きであったなら、この後にどのような言葉が埋められたでしょうか。

人生80年時代の日本人にとって、気になるところです。21世紀になって13年。人生90年の時代もそう遠くないでしょう。

これからの生涯教育の目標は、「我八十にして・・」の・・の言葉を探すことになりそうですね。さて、あなたなら、この後にどんな言葉をつけますか。

 ちなみに、私の場合は「我八十にして深く我が生を愛し、九十にして仏恩に報謝し、百にして仏の来迎を待つ」・・・でありたいものです。



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