大覚寺のご紹介

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2013年(平成25年)2月のミニミニ法話・お説教

2013年(平成25年)2月

玄禮和尚のお説法

2013年(平成25年)2月

~ 第059回 「一休さんの遺言状」 ~

  「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」

年が明けるといつも、一休さんの作ったこの歌を思い出すのです。そこで 正月明けのある日、京田辺の酬恩庵にお参りしました。

通称「一休寺」と呼ばれるこのお寺は臨済宗の高僧・大應国師の遺風を慕った一休禅師が、その恩に酬(むく)いる為に「酬恩庵」と名づけて再興し、81歳で 大徳寺の住職となった時もこの寺から通われ、88歳で亡くなるまで晩年をこの寺で過ごされているのです。

 禅宗では高僧の肖像を頂相(ちんぞう)と呼んでいますが、宝物蔵にある禅師の頂相は、とんち小僧であり風狂という型破りな生き方をした一休さんの親しみ 深い愛嬌ある容貌の中に、どこか寂しそうな風情が感じられます。そんな一休和尚の逸話を二つ紹介しましょう。
 
【その1】
 一休和尚が金持ちの家の法要に招かれた、その前日。たまたまその家の門前を通ったので立ち寄ると、みすぼらしい衣姿を見て乞食坊主と思った門番が「物乞 いなら裏へまわれ」とけんもほろろに追い返されたのです。


 翌日、紫の衣を着て門前に立つと、丁重に奥座敷へ案内されました。主人に昨日の一件を話し、紫衣を脱ぎ捨てて、「私には何の価値もござらぬ。紫の衣に価 値があるのなら、この衣に読経してもらうがよろしかろう」と言い捨てて帰ってしまいました。

【その2】
  一休和尚が大徳寺の住職となって数年たち、いよいよ臨終間近という時、遺言状をしたためて「この遺言状は私が死んでも、すぐに開封してはならぬ。宗派存亡 の危機に瀕する一大事が到来した時に、開いて読むべし。解決法がたちどころにわかるであろう」と厳しく言い渡しました。

 やがて大徳寺の浮沈に関わる重大事が出来し、宗門の重役が鳩首協議するが名案が浮かびません。その時、一座の中の一人が一休和尚の遺言状のあったことを を思い出し、奥深くしまわれていた遺言状を取り出して、一同固唾を呑んで開いてみると、中にはたった一行。

「なるようになる。心配するな」
と書かれていたのです。全員が唖然とした、といいます。

 それにしても「なるようになる」という一句は単なる冗句ではなく、世の中の本質を言い当てた実に見事な金言、ではありませんか。

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