大覚寺のご紹介

人生を健やかに生きていくための説法を
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2013年(平成25年)8月のミニミニ法話・お説教

2013年(平成25年)8月

玄禮和尚のお説法

2013年(平成25年)8月

~ 第065回 「お盆随感」 ~

~御饗(ミアエ)する 物こそなけれ 小瓶(コガメ)なる 蓮(ハチス)の花を 見つつ忍ばせ~良寛

「せっかく訪ねてくれたのに、あなたをもてなすご馳走がありません。小瓶に蓮の花を挿しておきました。美しい花です。せめてこれを見て私のもてなしだと 思って我慢して下さい」

 70歳の良寛和尚が若く美貌の「思い人」貞心尼に宛てた歌です。

良寛さんにとって貞心尼は、泥沼にあって泥に染まらず凜とさく紅い蓮の花であり、貞心尼にとっても歌の師である良寛和尚は、白い蓮華のようであったと思わ れます。

二人の相聞歌は「はちすの露」と題して貞心尼によって書き残されています。

 お盆の季節です。この時期に咲く蓮は、お盆を迎えるのに相応しい花ですね。そして蓮の花を見ると、良寛さんのこの歌を思い出すのです。

山並み遠く夕日が沈み、夜の帳が静かにおりて、お仏壇に飾られた提灯に灯がともる、お盆の夕べ。

お盆はインドの言葉のウランバーナを漢字に当てて「盂蘭盆」と書き、略してお盆といいます。「逆さに吊るされるほどの苦しみ」という意味です。

 お釈迦様の弟子で目連尊者という人は、母親が死後の世界で餓鬼道に堕ちて苦しんでいるのを知り、釈尊の教えに従って多くの人に食べ物を供養することに よって、母親の苦しみを救います。これがお盆の始まりです。

餓鬼道。それは足ることを知らないで、果てしない欲望でいつも飢えた心の状態をいいます。餓鬼道の苦しみは、この世の中にもたくさんあります。

 満足することを知らないで、次から次へと金銭欲や名誉欲に支配され、いつもガツガツと飢えたように苦しんでいる人。何事にも喜びや感謝の気持ちを持つこ とのできない人。

心が逆さまになってしまった今の日本人の姿こそ、まず救われなければならない餓鬼道そのものではないでしょうか。

 祖先以来、何十万年も続いてきた今の自分の命に、こころから感謝するのがお盆です。

亡き人と語り、亡き人と出逢い、今生きている私の姿を顧みて、「どのように生き抜くべきか」を考える良い機会です。

毎日を修羅場に生きる人。お盆こそ、泥沼の日常から離れた「こころの日」としたいですね。


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