2013年(平成25年)9月のミニミニ法話・お説教
2013年(平成25年)9月
~ 第066回 「彼岸からの声」 ~
十年前の新聞に載っていた読者文芸欄の詩を紹介します。作者は兵庫県在住の高見さん、当時八十歳。「命日」という題です。
「お経も知らないくせに・・・」
今日は姉の命日だ。仏間にポカンと座っている。
それでも鉦を叩き線香を立て、蝋燭に火をつける。
八十四歳になった姉が、六十年近くもどこにも行かないで僕の前にいる。
二十四歳の姉が八十歳になった僕より、今日も年上の顔で僕を見ている。
「お経も知らないくせに。もういいからテレビでも見ていなさい」
にっこり笑って姉はいう。
「姉さん、あんたテレビは知らないだろ」 「そうだったねェ」
細く長く線香の煙が揺れている。
* * * *
幾つになっても、やはり二十四歳の姉さんが慕わしいのですね。でも本当は、残された者が亡くなった人を思う気持ちよりも、亡くなった人が残された者を思 う気持ちのほうが、より切なるものがあるのです。
こころ静かに仏壇の前に端座し合掌して自分を振り返る時、全てこの世に生を受けた者は、一人で生きているのではない、と気付きます。
「見守られている」と気付いた時、人は安らぎを感じ、彼岸からの声も聞くことができるのです。多くの人や物のお蔭によって「生かされている」ことに目覚 め、感謝しなければなりません。
たった一つの尊いいのち。そのいのちの限りを尽くして、勇気と希望と真心をもって与えられた使命を全うし、豊かな家庭と明るい社会を築く人間。そんな人間 になりたいものです。
お経は知らなくても良い。手を合わせて仏さまに向う。お仏壇は仏さまと家族と私を結ぶ、大切な拠り所なのです。
「お経も知らないくせに・・・」
今日は姉の命日だ。仏間にポカンと座っている。
それでも鉦を叩き線香を立て、蝋燭に火をつける。
八十四歳になった姉が、六十年近くもどこにも行かないで僕の前にいる。
二十四歳の姉が八十歳になった僕より、今日も年上の顔で僕を見ている。
「お経も知らないくせに。もういいからテレビでも見ていなさい」
にっこり笑って姉はいう。
「姉さん、あんたテレビは知らないだろ」 「そうだったねェ」
細く長く線香の煙が揺れている。
* * * *
幾つになっても、やはり二十四歳の姉さんが慕わしいのですね。でも本当は、残された者が亡くなった人を思う気持ちよりも、亡くなった人が残された者を思 う気持ちのほうが、より切なるものがあるのです。
こころ静かに仏壇の前に端座し合掌して自分を振り返る時、全てこの世に生を受けた者は、一人で生きているのではない、と気付きます。
「見守られている」と気付いた時、人は安らぎを感じ、彼岸からの声も聞くことができるのです。多くの人や物のお蔭によって「生かされている」ことに目覚 め、感謝しなければなりません。
たった一つの尊いいのち。そのいのちの限りを尽くして、勇気と希望と真心をもって与えられた使命を全うし、豊かな家庭と明るい社会を築く人間。そんな人間 になりたいものです。
お経は知らなくても良い。手を合わせて仏さまに向う。お仏壇は仏さまと家族と私を結ぶ、大切な拠り所なのです。