2014年(平成26年)10月のミニミニ法話・お説教
2014年(平成26年)10月
~ 第079回 「木のいのち」 ~
十月八日は「木の日」というのだそうです。十と八を組み合わせると木になるからだそうですが、ご存じでしたか?
法隆寺の修復や、薬師寺金堂の再建等に腕を奮った宮大工の西岡常一さん(1908~1995)は、農業学校を卒業しています。
大工になるのだから、普通は工業学校に、と思うでしょうが、法隆寺大工の伝統技術を教えることを夢見ていた祖父の強い希望であったようです。
納得できなかった常一さんは、「なんで俺がナスやカボチャを育て、コメ作りを?」と尋ねたところ、祖父はこう答えたそうです。
「人間はいつかは土に帰る。木も土に育って土に帰る。建物だって土の上に建てる。土の有難さを知らずにいたのでは、本当の人間になれない。まして立派な宮 大工になれない。」
西岡さんが祖父の言葉を噛みしめ味わえるようになったのは、髪の毛が大分薄くなりかけた頃でした。
「農学校の教育が血となり肉となって、千三百年間、法隆寺を支えてきた木の生命力を、しっかりと受け止めることができた」
といっています。 この常一さんの祖父の信念は、時代を超えて今でも大事なことを教えてくれているように思います。
今、土を通じて学ぶものが軽く見られています。学校でも家庭でも、もっと土に触れる機会を設け、生命を育てる経験をしたほうが良いように思えるのです。
結局、人間は「いつかは土に帰る」存在であることを知るのに、それは必ず役に立つことでしょう。
坂村真民さんの詩が、そのことを教えてくれています。
一本の木を見つめていると 神とか仏とかいうものがよくわかってくる
見えないところで その幹を その葉を その花を その実を作っていてくれる
根の働きは 見えないところで私たちを養ってくださる
神と等しく 仏と同じである
見えないものを 見る目をもとう
見えないものを 知るこころを持とう
法隆寺の修復や、薬師寺金堂の再建等に腕を奮った宮大工の西岡常一さん(1908~1995)は、農業学校を卒業しています。
大工になるのだから、普通は工業学校に、と思うでしょうが、法隆寺大工の伝統技術を教えることを夢見ていた祖父の強い希望であったようです。
納得できなかった常一さんは、「なんで俺がナスやカボチャを育て、コメ作りを?」と尋ねたところ、祖父はこう答えたそうです。
「人間はいつかは土に帰る。木も土に育って土に帰る。建物だって土の上に建てる。土の有難さを知らずにいたのでは、本当の人間になれない。まして立派な宮 大工になれない。」
西岡さんが祖父の言葉を噛みしめ味わえるようになったのは、髪の毛が大分薄くなりかけた頃でした。
「農学校の教育が血となり肉となって、千三百年間、法隆寺を支えてきた木の生命力を、しっかりと受け止めることができた」
といっています。 この常一さんの祖父の信念は、時代を超えて今でも大事なことを教えてくれているように思います。
今、土を通じて学ぶものが軽く見られています。学校でも家庭でも、もっと土に触れる機会を設け、生命を育てる経験をしたほうが良いように思えるのです。
結局、人間は「いつかは土に帰る」存在であることを知るのに、それは必ず役に立つことでしょう。
坂村真民さんの詩が、そのことを教えてくれています。
一本の木を見つめていると 神とか仏とかいうものがよくわかってくる
見えないところで その幹を その葉を その花を その実を作っていてくれる
根の働きは 見えないところで私たちを養ってくださる
神と等しく 仏と同じである
見えないものを 見る目をもとう
見えないものを 知るこころを持とう