大覚寺のご紹介

人生を健やかに生きていくための説法を
毎月、御紹介していきたいと思います。

2014年(平成26年)9月のミニミニ法話・お説教

2014年(平成26年)9月

玄禮和尚のお説法

2014年(平成26年)9月

~ 第078回 「彼岸花」 ~

    曼珠沙華抱くほど採れど母恋し   中村汀女

 亡き母の墓地に群れて、火のように燃えて咲いている曼珠沙華の花が目に浮かびます。

別名「彼岸花」。毎年、秋の彼岸の入りの頃になると、迷わずに咲く不思議な花です。

 兵庫県の多可町市原では、毎年「直接言うのは照れくさい、孝行のメッセージ」を募集しています。その入選作の一つに彼岸花にまつわる作品があります。

*「お父さん、お母さん。姉妹三人でやっとお墓を建てました。住み心地はいかがですか? 十代の娘たちを残して、突然逝ったあなた達。あれから何拾年。 今、私たちは幸せです。皆でお墓に曼珠沙華を植えました。秋を楽しみにね・・」 (藤田加代子 神奈川61歳)

この方の両親がなぜ突然逝ってしまったのか理由がわかりませんが、なにか不幸な事情と残された娘さん達のその後の苦労が感じられます。

両親の墓など建てる余裕もなかったのでしょう。が、五十回忌が近づいて「一時は恨んだけれど、あの両親が生んでくれたからこそ、今の私たちがあるんじゃな いの。

小さくてもいい、お墓を建てようよ」という話になり、お墓のまわりに彼岸花を植えたという光景が浮かんできます。

 彼岸というのは川の向こう岸ですが、仏教では理想の世界、悟りの世界、阿弥陀仏の浄土を意味します。

二十三日の中日を挟んで前後三日、計七日間、それぞれの家庭でもお寺や先祖のお墓にお参りして、亡き人を偲びます。平安時代に朝廷で始められ、江戸時代に は広く普及して年中行事になりました。

    秋彼岸にも忌日にも遅れしが    高浜虚子

これは親の法事を勤めようとしたが、なにかの都合で秋の彼岸にも祥月命日にも間に合わなかった、という句でしょう。

亡き人の追善供養をすれば、そのご利益の七分の一は故人にもたらされて、残りの七分の六は施した人が手に入れることができる、という説があります。

でも、本来供養というのは見返りを期待するものではなく、自らの生き方を振り返るためにあるのだと考えたいですね。

亡き人の心を想い、その人が安心し喜んでくれるような生き方をしようと努力する。そう自分に言い聞かせて、お彼岸を自己反省の機会にできれば良い仏縁にな ると思います。

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