大覚寺のご紹介

人生を健やかに生きていくための説法を
毎月、御紹介していきたいと思います。

2015年(平成27年)4月のミニミニ法話・お説教

2015年(平成27年)4月

玄禮和尚のお説法

2015年(平成27年)4月

~ 第085回 「吉川英治と父母」 ~

 国民文学作家と呼ばれ、宮本武蔵や新・平家物語など多くの作品を書いた吉川英治さんが亡くなって、もう53年になります。

特に私は新平家物語を学生時代に夢中になって読みふけったもので、そのお陰で法然上人の頃の時代背景がよくわかり、宗祖の思想を学ぶ上で大変勉強になった ものでした。

 吉川さんは明治25年(1892)生まれで、11歳の時に父親が商売に失敗して破産し、その為に小学校を中退。

強く希望していた中学にも行けず、店の小僧、印刷工、給仕、小間物の行商や沖仲仕など、さまざまな職業を経験し浮世の苦労をなめ尽くした人です。

母親は七人の子供をかかえて随分苦労したのに、父親は見識が高く大酒をのんでは母を苦しめるという風でした。それでも母は父に逆らわず、大事に尽くしたと いわれています。

 その父が大正7年に亡くなりますが、その時の臨終の模様が吉川さんの自叙伝『忘れ残りの記』に次のように書かれています。

----その朝にかぎって、こんな事があった。

父は茶好きで、おまけに、毎朝暗いうちに眼をさます。同時に、湯加減よく、濃い煎茶の一服が、すぐ出ないと機嫌がわるい。

多年の習慣で、今朝も母が未明に起きて、勝手口のガス七輪でお湯をわかしていると、病床の方から「おいく、おいく」と人恋しそうに何度も呼ぶ。

「はい、ただいま」と答えながらとにかく先に茶を入れて、いつものように母が枕元へ持っていくと、父は起き直って「なあ、おいく。今朝ばかりは、お前の姿 が観音様のように見えたよ。観音様が台所にいるかと思った・・・」

と手を合わしかけたので、「いやですよ」と母は笑いにまぎらしたが、そんなに言われたのは、夫婦となって今朝が初めてだったので、うれし涙がこぼれたと、 母は言った。----

 「衆生、仏を見たてまつれば心開悟す」と善導大師はいわれています。

大酒のみで癇癪持ちの父親も、さすがに臨終には妻の苦労に感謝し、台所でお茶を入れる妻の姿に観音様を見、心開悟したのです。

「お前の姿が観音様に見えたよ」という一言で母の苦労も報われたし、父もまた吉川さんの心に生き続けたのです。それにしてもこの一言は、最高の褒め言葉で すね。
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