大覚寺のご紹介

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2015年(平成27年)6月のミニミニ法話・お説教

2015年(平成27年)6月

玄禮和尚のお説法

2015年(平成27年)6月

~ 第087回 「紫陽花の雨」 ~

 雨の季節になりました。古川柳に「同じ字を雨雨雨と雨て読み」というのがあります。さてなんと読むのでしょう。正解は「同じ字をアメ・サメ・ダレとグレて読み」と読みます。

最初のアメは普通の雨。サメは「春雨」のサメ。ダレは「五月雨」のダレ。グレは「時雨」のグレ、という訳です。

 この季節になると『紫陽花の雨』という歌を思い出します。
「紫陽花に降る雨よ。薄紫の私の想いを濡らし、過ぎた昨日の雨。雨の中で想いに堪えて色を増す紫陽花の花よ」

咲き始めの頃は薄い緑色を帯びていて、やがて青に染まり次第に紫がにじみ出て、淡い紅に変わるので「七変化」とも言われます。

太宰治の桜桃忌もこの時季(6月19日)ですが、代表作の『斜陽』に次のような文があります。

「霧の庭に、アジサイに似た赤い大きな花が燃えるように咲いていた。子供の頃、お蒲団の模様に、真っ赤なアジサイの花が散らされてあるのを見て、へんに悲しかったが、やっぱり赤いアジサイの花って本当にあるものだと思った」

 没落していく四人の家族の滅びを暗示しているかのような花です。

紫陽花は日本に生まれて育った花です。幕末の頃、オランダからやってきて長崎に居た医者のシーボルトは、空色鮮やかな花が特に大好きでその一種に「おたくさ」と名付けました。

日本にいた頃の恋人の「お滝さん」をはるかに偲んでの命名だったといわれています。この花には、何故か遠く離れた懐かしい女性を連想させる力があるようです。

彩りを次々に変えて装うところや、或いは又、地味の決して良くない土地にもよく堪えて、あでやかに咲き誇る生命力に、女性の姿を連想させるのでしょうか。

 「飛ぶ蛍ひかり見え行く夕暮れになほ色のこる庭のあぢさゐ」
鎌倉時代の歌人・藤原家良の歌です。

飛び交う蛍の光がはっきり見えてくる夕暮れに、なお紫陽花の色が消え残っているという歌で、蛍とあじさいの花が対照的に浮かび上がってきます。

同じ時代に念仏信仰を広められた法然上人も、きっとこのような光景をご覧になったことでしょう。

ともすると暗くなりがちな雨の季節に、せめて紫陽花の花のように笑顔で周りを明るくしたいものです。
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