2015年(平成27年)8月のミニミニ法話・お説教
2015年(平成27年)8月
~ 第089回 「4人の妻」 ~
お盆がきました。お盆は正しくは「盂蘭盆(うらぼん)会」といいます。
インドの言葉「ウランバーナ」から来ているのですが、本来 「手足を縛って逆さまに吊るす」という意味があります。
これは非常な苦しみを伴うもので、その苦しみから救われるのが「お盆」であるといわれているのです。
釈尊の説かれたお経の中に、こんな話があります。
昔、インドに大金持ちがいました。大金持ちですから、妻も4人おりました。ところが、年をとって、一人であの世に行くことが不安になってきました。そこ で彼は考えました。
「4人の妻たちには贅沢に金や食べ物や、着るものを惜しみなく与えてきた。私があの世へ一緒に行ってくれと頼めば、よもや誰もイヤとは言うまい」
ある日、第1夫人に「私の命も長くはあるまい。一緒にあの世へ行ってくれないか」と頼んだところ、彼女は冷ややかに言うのです。
「私はあなたの命のある限り一緒にお側にいますが、あの世まで付き従うことはできません」
そこで仕方なく第2夫人に頼んだけれど、返事は同じくあの世に一緒に行くことを拒否します。
第3夫人にいたっては「あの世までは無理だけれど、せめて墓の中までならお伴しましょう」というのです。
大金持ちはがっかりして、最後の望みを第4夫人に託して頼んでみると、なんと彼女は「喜んでどこまでも付いてまいります」と言ってくれたのです。
さて、この話、実は第1夫人というのは、自分の肉体のことであり、第2夫人は自分の地位や名誉・財産のこと。第3夫人というのは女房や子供のことです。
肉体や金・地位・名誉などは、命ある限りのものです。あの世へは持っていけません。
あるいは女房・子供もいずれ墓までは入ってくれるでしょうが、あの世へ 一緒に、という訳にはいきません。
どこまでも付いて行くという第4夫人こそ、私たちがこの世で行なった行為のことで、それを「業」と呼んでいます。
好い行為をすれば善い世界へ生まれるこ とができるというのです。
手足を逆さまに吊るされる苦しみから逃れるためにも、普段の行ないを反省して先祖の前で敬虔な祈りを捧げる。それがお盆です。
インドの言葉「ウランバーナ」から来ているのですが、本来 「手足を縛って逆さまに吊るす」という意味があります。
これは非常な苦しみを伴うもので、その苦しみから救われるのが「お盆」であるといわれているのです。
釈尊の説かれたお経の中に、こんな話があります。
昔、インドに大金持ちがいました。大金持ちですから、妻も4人おりました。ところが、年をとって、一人であの世に行くことが不安になってきました。そこ で彼は考えました。
「4人の妻たちには贅沢に金や食べ物や、着るものを惜しみなく与えてきた。私があの世へ一緒に行ってくれと頼めば、よもや誰もイヤとは言うまい」
ある日、第1夫人に「私の命も長くはあるまい。一緒にあの世へ行ってくれないか」と頼んだところ、彼女は冷ややかに言うのです。
「私はあなたの命のある限り一緒にお側にいますが、あの世まで付き従うことはできません」
そこで仕方なく第2夫人に頼んだけれど、返事は同じくあの世に一緒に行くことを拒否します。
第3夫人にいたっては「あの世までは無理だけれど、せめて墓の中までならお伴しましょう」というのです。
大金持ちはがっかりして、最後の望みを第4夫人に託して頼んでみると、なんと彼女は「喜んでどこまでも付いてまいります」と言ってくれたのです。
さて、この話、実は第1夫人というのは、自分の肉体のことであり、第2夫人は自分の地位や名誉・財産のこと。第3夫人というのは女房や子供のことです。
肉体や金・地位・名誉などは、命ある限りのものです。あの世へは持っていけません。
あるいは女房・子供もいずれ墓までは入ってくれるでしょうが、あの世へ 一緒に、という訳にはいきません。
どこまでも付いて行くという第4夫人こそ、私たちがこの世で行なった行為のことで、それを「業」と呼んでいます。
好い行為をすれば善い世界へ生まれるこ とができるというのです。
手足を逆さまに吊るされる苦しみから逃れるためにも、普段の行ないを反省して先祖の前で敬虔な祈りを捧げる。それがお盆です。