2016年(平成28年)1月のミニミニ法話・お説教
2016年(平成28年)1月
~ 第094回 「年頭の言葉」 ~
謹んで至心に三宝に帰依し併せて新しい年の平安を祈念いたします。
< 梓弓春立つけさの心もて 年の一とせ過ぐしてしかな >
江戸後期の国学者で歌人の賀茂季鷹(かものすえたか)が、新春を迎えて詠んだ歌です。
「今朝の清々しい心でこの一年を過ごしたいものだ。梓弓に張った弦が、年の末までたゆみませんように」という歌の意味の中に、美しく凛とした空気が漂います。
新しい年を迎えると、思い浮かべる漢詩があります。
「まことに日に新たに 日々に新たに また日に新たに」
古代中国の王が洗面器にこの句を刻みつけ、毎朝、顔を洗うたびに決意を新たにした、と伝えられています。
仏教においては「日々是好日」といいます。一年の始まりは元日。一日の始まりは朝。年において、日において切れ目を立てることは、なによりの道です。
新年はこころを洗う切れ目として目標を立て、朝な朝なには仏前に合掌十念して四恩の「おかげさま」に感謝し、「恩を知り、恩に報いる」生活をしていきたいものです。
そのために「まゆみの法則」という教えがあります。
「待つ・許す・認める」というこころの法則です。これこそ永観堂のご本尊「みかえり阿弥陀仏」の慈悲の働きを表しています。
私の口から仏のみ名である「南無阿弥陀仏」が唱えられるのを待つこころ。
私の心の醜さを許すこころ。そして私の命の存在を認めて下さるこころ。
このお慈悲の働きに気づき、生活の中に「おかげさま」のこころを育て、私たちも又「まゆみの法則」で家族や人々に接し、今日一日を精いっぱい生かされて生きていきましょう。
(「まゆみの法則」は今野華都子さんの言葉からの引用です)
< 梓弓春立つけさの心もて 年の一とせ過ぐしてしかな >
江戸後期の国学者で歌人の賀茂季鷹(かものすえたか)が、新春を迎えて詠んだ歌です。
「今朝の清々しい心でこの一年を過ごしたいものだ。梓弓に張った弦が、年の末までたゆみませんように」という歌の意味の中に、美しく凛とした空気が漂います。
新しい年を迎えると、思い浮かべる漢詩があります。
「まことに日に新たに 日々に新たに また日に新たに」
古代中国の王が洗面器にこの句を刻みつけ、毎朝、顔を洗うたびに決意を新たにした、と伝えられています。
仏教においては「日々是好日」といいます。一年の始まりは元日。一日の始まりは朝。年において、日において切れ目を立てることは、なによりの道です。
新年はこころを洗う切れ目として目標を立て、朝な朝なには仏前に合掌十念して四恩の「おかげさま」に感謝し、「恩を知り、恩に報いる」生活をしていきたいものです。
そのために「まゆみの法則」という教えがあります。
「待つ・許す・認める」というこころの法則です。これこそ永観堂のご本尊「みかえり阿弥陀仏」の慈悲の働きを表しています。
私の口から仏のみ名である「南無阿弥陀仏」が唱えられるのを待つこころ。
私の心の醜さを許すこころ。そして私の命の存在を認めて下さるこころ。
このお慈悲の働きに気づき、生活の中に「おかげさま」のこころを育て、私たちも又「まゆみの法則」で家族や人々に接し、今日一日を精いっぱい生かされて生きていきましょう。
(「まゆみの法則」は今野華都子さんの言葉からの引用です)