大覚寺のご紹介

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2016年(平成28年)2月のミニミニ法話・お説教

2016年(平成28年)2月

玄禮和尚のお説法

2016年(平成28年)2月

~ 第095回 「信=人+言」 ~

 「己にしかざる者を友とするなかれ」。これは孔子の言葉です。

「自分にそぐわない者、人間的に信頼することが出来ない者は、友だちとするな」という意味です。

良き友となるかどうか、または良き夫婦・恋人であるかどうかは、お互いに相手の言葉を信じることができるかどうか、に掛っているようです。

 辞書によれば「信」という字は「人」と「言」の組み合わせでできた会意文字であり、もともと神に誓いを立てた上で、人との間に約束したことを「信」という、とあります。
(白川静・『常用字解』)

人の言葉がその時の心と一致する、というのが本来の意味であり、「まこと」の意を表しているのです。

仏教をはじめ、あらゆる宗教は「信」を絶対条件として成り立っています。

 その一例として、浄土真宗の開山・親鸞聖人の教えを弟子の唯円坊がまとめた『歎異抄』のなかの有名な会話があります。

唯円が日頃の疑問を率直に尋ねます。
「とても素晴らしい所だと、師匠が語られるお浄土へ行くことができるというのに、なぜか一向に心が躍らないのですが」

それに対して親鸞聖人が極めて素直に答えます。
「唯円よ、お前もか。実は私もそうなのだ」

驚いた唯円は、不安を感じて更に問います。
「一体、本当にお浄土というものはあるのでしょうか」

この後の聖人の言葉がすごいのです。

「あるのか、ないのか。そんな難しいことは私にはわからない。ただ、あの偉大な法然さまが『絶対にある』とおっしゃるのだから、間違いなくあるのだ。もし万一、法然さまを信じて念仏を唱えたために地獄に落ちたとしても、私は少しも後悔しないよ」

この師匠の法然上人に対する絶対的な信頼こそが、他力本願の念仏の真髄なのです。

 人間が口から出す言葉というものは、信ずるものであり、信じられるものでなければならないし、言葉を通して、相手の人格に対して尊敬と信頼とが抱けるかどうか、が大事なのです。

「信とは、『まけて・まかせて・まいって・まつ』という心だ」。
かつて師と仰ぐ紀野一義先生から教えられた言葉です。

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