大覚寺のご紹介

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2016年(平成28年)3月のミニミニ法話・お説教

2016年(平成28年)3月

玄禮和尚のお説法

2016年(平成28年)3月

~ 第096回 「お水取り」 ~

 「お水取りが始まると春が来る」と関西では言い慣わしています。東大寺二月堂のお水取りが始まりました。

15日明け方まで続く厳しい修行は、正しくは「十一面観音悔過(けか)」といい「修二会」とも言われています。

対秘仏である本尊十一面観音に罪や汚れを懺悔して、除罪招福と国の平和を祈る法要です。そのお坊さん達を『練行衆(れんぎょうしゅう)』と呼んでいます。

「籠りの僧」とも呼ばれる練行衆は、観世音菩薩の名を呼びながら、体を二月堂の内陣の床に打ちつけるような激しい礼拝行を行ないます。

奈良時代の天平勝宝四年(752)、實忠和尚によって始められ、以後途絶えることなく今日まで連綿と続けられているのです。

 天平勝宝四年といえば、聖武天皇によって建立された大仏(盧舎那仏)の開眼法要が盛大に営まれた年であり、華やかな天平文化が豪華絢爛に咲き誇った年でもあります。

けれども、その一方で奈良時代を通じて吹き荒れた血なまぐさい政治の権力争いや、或いは疫病の流行や飢饉などで多くの民が命を奪われ、そうした社会不安の中で「お水取り」の行事が生まれた、ということも忘れてはならないのです。

 いつの時代も絶えることのない人間の業。親子の争いから国と国の戦争にいたるまで、愚かな人間の業によって引き起こされています。

1264年続いている「お水取り」の行の伝統は、そういう深い人間の業の自己反省から生まれているのです。

寒さに耐え、身を苛めぬく錬行衆の懺悔の行は、この私達に代わって行なわれているのです。この私の人間としての数知れぬ罪業の反省なのです。

 私たちはいつも偉そうな顔をして、この世を送っていますが、一枚皮をめくってみると、醜い自分の本性が顔をのぞかせます。

人の幸せを喜ぶどころか妬んだり、羨んだり、名誉欲や財産欲に捉われたり、つい愚痴や悪口をいったり、眼や口や心から作りだす様々な罪、汚れを除く行を錬行衆におまかせするだけでなく、そんな自分をしっかり見据えて、仏さまの前に洗いざらい曝け出して、心から許しを乞う。

それは決して難しいことではなく、「南無阿弥陀仏」とお念仏申すだけでいいのだ、と法然上人は説いておられます。

 仏さまは、いつでも、どこでも、私達をその温かい眼差しでじっと見守っていてくださるのです。

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