2017年(平成29年)5月のミニミニ法話・お説教
2017年(平成29年)5月
~ 第110回 「邂 逅(かいこう)」 ~
良寛さんといえば、自然やこどもたちと一緒になって、毬つきやかくれんぼに一日を暮らした親しみのある和尚さん、という印象ですね。
その良寛さんが74歳で亡くなる少し前に詠まれた歌があります。
*いついつと 待ちにし人は 来たりけり 今は相見て何か思はむ
なんと、これが恋歌なのです。
宝暦8年、出雲崎の名主の長男に生まれた栄蔵は、出家して良寛と名乗り、34歳で諸国行脚の旅に出て、39歳で越後に戻り、以後35年間を山中や里での独居生活を送ります。
ところが、最晩年の3年余りの年月は、明るく充実した日々だったのです。70歳を過ぎた頃、30歳の貞心尼という女性が歌の弟子として良寛さんの前にあらわれます。
*君にかく あい見ることのうれしさも まだ覚めやらぬ夢かとぞ思ふ
貞心尼が初めて良寛さんに会った時の喜びを歌っています。
「良寛さま。あなたにこうしてお会いできた嬉しさは、まだ醒めやらない夢のようですね」と素直な喜びを表現しています。
良寛さんも、いつかこの貞心尼の訪れを心待ちにするようになりました。
「いついつと」の歌は、病気がだんだん重くなった良寛さんのもとへ駆けつけた貞心尼に対して詠まれたものなのです。
「いつ来てくれるだろうか、と心待ちにしていた貞心よ。やっと来てくれたのだね。今こうして会うことができた喜びの他に、一体何を思うことがあるだろうか」
老いてなお枯れずに、人を恋うる瑞々しい心を持ち続けて、それを素直に歌に詠まれる良寛さん。
そんな晩年の良寛さんに、貞心尼のような美しくて優しい女人がいたことが、なんとも嬉しく思われます。
人は皆、出会いの糸のつながりによって結ばれています。その人と出会うことで人生まで変えてしまうような、そんな出会いを「邂逅」といいます。
人が何と謗ろうと、40歳も年の離れた良寛さんへの愛を貫き通した貞心尼は、臨終間近の師に次の歌を詠んでいます。
*生き死にの 境離れて 住む身にも 避(さ)らぬ別れの あるぞ悲しき
これに対して良寛さんは次の辞世の句を遺して、貞心尼に看取られ浄土に旅立ったのです。
*裏を見せ 表を見せて 散る紅葉
その良寛さんが74歳で亡くなる少し前に詠まれた歌があります。
*いついつと 待ちにし人は 来たりけり 今は相見て何か思はむ
なんと、これが恋歌なのです。
宝暦8年、出雲崎の名主の長男に生まれた栄蔵は、出家して良寛と名乗り、34歳で諸国行脚の旅に出て、39歳で越後に戻り、以後35年間を山中や里での独居生活を送ります。
ところが、最晩年の3年余りの年月は、明るく充実した日々だったのです。70歳を過ぎた頃、30歳の貞心尼という女性が歌の弟子として良寛さんの前にあらわれます。
*君にかく あい見ることのうれしさも まだ覚めやらぬ夢かとぞ思ふ
貞心尼が初めて良寛さんに会った時の喜びを歌っています。
「良寛さま。あなたにこうしてお会いできた嬉しさは、まだ醒めやらない夢のようですね」と素直な喜びを表現しています。
良寛さんも、いつかこの貞心尼の訪れを心待ちにするようになりました。
「いついつと」の歌は、病気がだんだん重くなった良寛さんのもとへ駆けつけた貞心尼に対して詠まれたものなのです。
「いつ来てくれるだろうか、と心待ちにしていた貞心よ。やっと来てくれたのだね。今こうして会うことができた喜びの他に、一体何を思うことがあるだろうか」
老いてなお枯れずに、人を恋うる瑞々しい心を持ち続けて、それを素直に歌に詠まれる良寛さん。
そんな晩年の良寛さんに、貞心尼のような美しくて優しい女人がいたことが、なんとも嬉しく思われます。
人は皆、出会いの糸のつながりによって結ばれています。その人と出会うことで人生まで変えてしまうような、そんな出会いを「邂逅」といいます。
人が何と謗ろうと、40歳も年の離れた良寛さんへの愛を貫き通した貞心尼は、臨終間近の師に次の歌を詠んでいます。
*生き死にの 境離れて 住む身にも 避(さ)らぬ別れの あるぞ悲しき
これに対して良寛さんは次の辞世の句を遺して、貞心尼に看取られ浄土に旅立ったのです。
*裏を見せ 表を見せて 散る紅葉