2017年(平成29年)10月のミニミニ法話・お説教
2017年(平成29年)10月
~ 第115回「故郷(ふるさと)に契りし友に」 ~
京都、紫野大徳寺の開山・大燈国師は私の生まれ育った網干に近い揖保郡太子町のお生まれです。その大燈国師の言葉。
「億劫(おくこう)相(あい)別れて、しかも須臾(しゅゆ)も離れず、尽日(じんじつ)相対して而(しか)も刹那(せつな)も対せず」
意訳すれば、たとえ離ればなれになっていても、心は少しの間も離れていない人がいるかと思えば、一日中会っていても、心はまったく通じ合っていない者もいる、という意味です。
釈尊の弟子の阿難は、いつも師匠のそばに仕えていながら、なかなか悟れなかったのですが、ある日、釈尊のお顔をパッと見た途端、そのお顔が光輝いているのを見て思わずニコッと微笑んだのです。
それが釈尊の目にとまって心が通じ合い、とうとう阿難は一人前の弟子になりました。
人と人の心が、たとえ言葉を交わさなくてもピタッと一致して、気持ちが通じ合うということがあるのです。
また釈尊が入滅される時、阿難にこう言い残されました。
「私の肉体は滅んでも、私の教えは汝の心に生きているではないか。だから決して寂しがることはないのだよ」
こういう関係を「億劫相別れて、しかも須臾も離れず」というのです。
その反対に、立派な先生や友人、家族と長年寄り添っていても、心が少しも通じ合わないという人もいるのです。
法然上人のお歌に、「生まれてはまず思い出ん故郷に契りし友の深きまことを」というすてきな歌があります。
たとえ死に別れたとしても、浄土でまた会おうと約束したあなたの深い真心を忘れませんよ、という歌です。
良寛さんが貞心尼に与えた同様の歌があります。「霊山(りょうぜん)の釈迦のみ前に契りてし ことな忘れそ世は隔つとも」
(インドの霊山で釈尊が説法されていた時に、あなたと私は次の世でも再会しようと約束したことを、私はどんなに離れていても決して忘れないよ。)
これに対して貞心尼の返歌は「霊山の釈迦のみ前に契りてし ことは忘れじ世は隔つとも」
たった二文字しか変わらない歌ですが、良寛さんを心から慕い、「どんなに離れていても次の世で必ず会いましょう」という歌です。
信仰に結ばれたものは、必ず浄土でまた会えるという二人の強い絆が感じられます。
「億劫相別れて、しかも須臾も離れず」という出会いを大切にしたいですね。
「億劫(おくこう)相(あい)別れて、しかも須臾(しゅゆ)も離れず、尽日(じんじつ)相対して而(しか)も刹那(せつな)も対せず」
意訳すれば、たとえ離ればなれになっていても、心は少しの間も離れていない人がいるかと思えば、一日中会っていても、心はまったく通じ合っていない者もいる、という意味です。
釈尊の弟子の阿難は、いつも師匠のそばに仕えていながら、なかなか悟れなかったのですが、ある日、釈尊のお顔をパッと見た途端、そのお顔が光輝いているのを見て思わずニコッと微笑んだのです。
それが釈尊の目にとまって心が通じ合い、とうとう阿難は一人前の弟子になりました。
人と人の心が、たとえ言葉を交わさなくてもピタッと一致して、気持ちが通じ合うということがあるのです。
また釈尊が入滅される時、阿難にこう言い残されました。
「私の肉体は滅んでも、私の教えは汝の心に生きているではないか。だから決して寂しがることはないのだよ」
こういう関係を「億劫相別れて、しかも須臾も離れず」というのです。
その反対に、立派な先生や友人、家族と長年寄り添っていても、心が少しも通じ合わないという人もいるのです。
法然上人のお歌に、「生まれてはまず思い出ん故郷に契りし友の深きまことを」というすてきな歌があります。
たとえ死に別れたとしても、浄土でまた会おうと約束したあなたの深い真心を忘れませんよ、という歌です。
良寛さんが貞心尼に与えた同様の歌があります。「霊山(りょうぜん)の釈迦のみ前に契りてし ことな忘れそ世は隔つとも」
(インドの霊山で釈尊が説法されていた時に、あなたと私は次の世でも再会しようと約束したことを、私はどんなに離れていても決して忘れないよ。)
これに対して貞心尼の返歌は「霊山の釈迦のみ前に契りてし ことは忘れじ世は隔つとも」
たった二文字しか変わらない歌ですが、良寛さんを心から慕い、「どんなに離れていても次の世で必ず会いましょう」という歌です。
信仰に結ばれたものは、必ず浄土でまた会えるという二人の強い絆が感じられます。
「億劫相別れて、しかも須臾も離れず」という出会いを大切にしたいですね。