2018年(平成30年)1月のミニミニ法話・お説教
2018年(平成30年)1月
~ 第118回 「年頭の言葉」 ~
煩悩は百八減ってけさの春
この句の如く、希望に輝く平成の三十年となりました。
慈光の内に生かされている身である私たちは、過ぎしことに執着せず、まだ来ぬことに取り越し苦労をせず、ただ日々報恩感謝の気持ちを持って、己が与えられた業にはげみましょう。
戌(犬)歳の年頭にあたって思い出すのは、子供の頃の正月に必ず遊んだ「いろはカルタ」の最初の「犬も歩けば棒にあたる」の一句です。
この言葉の解釈は二つに分かれています。一つは「やってみると思わぬ幸運に出会う」という意味であり、もう一つは反対に「何かやると災難に会う」という意味です。
今は先の方で使われることが多いので、やはり幸運説を取り、なにごとも積極的に行なう年にしたいものです。
その為に今年の生き方の目標として、二つの徳目をお勧めします。
その一・三宝を敬うことを心の習慣にする。
聖徳太子が十七条憲法の第二章で「篤く三宝を敬え。三宝とは仏法僧これなり」と示され、この思想が以後の日本仏教の基礎となっているのです。
その二・三感王を目指す
三感王とは「恩を感じる」感恩。そして感謝・感動をいいます。
私たちは、さまざまなご縁と御恩をいただいて、今この世に生かされています。その御恩に対して「ありがとう」と感謝する。
そして、生かされている命の不思議に感動する。これを「三感王」と言うのです。
「恩を感じ、恩に報いる」という心を呼びさまし、生活のなかに「おかげさま」の心を育てたいものです。
恩を忘れた日々は、とげとげしく陰鬱であり、恩に目覚めた生活は、明るく朗らかです。
三感王を目指して「生きて身を蓮の上に宿さずば、念仏申す甲斐やなからん」と西山上人が勧められた、喜びの念仏の生活を送らせていただきましょう。 合掌十念
この句の如く、希望に輝く平成の三十年となりました。
慈光の内に生かされている身である私たちは、過ぎしことに執着せず、まだ来ぬことに取り越し苦労をせず、ただ日々報恩感謝の気持ちを持って、己が与えられた業にはげみましょう。
戌(犬)歳の年頭にあたって思い出すのは、子供の頃の正月に必ず遊んだ「いろはカルタ」の最初の「犬も歩けば棒にあたる」の一句です。
この言葉の解釈は二つに分かれています。一つは「やってみると思わぬ幸運に出会う」という意味であり、もう一つは反対に「何かやると災難に会う」という意味です。
今は先の方で使われることが多いので、やはり幸運説を取り、なにごとも積極的に行なう年にしたいものです。
その為に今年の生き方の目標として、二つの徳目をお勧めします。
その一・三宝を敬うことを心の習慣にする。
聖徳太子が十七条憲法の第二章で「篤く三宝を敬え。三宝とは仏法僧これなり」と示され、この思想が以後の日本仏教の基礎となっているのです。
その二・三感王を目指す
三感王とは「恩を感じる」感恩。そして感謝・感動をいいます。
私たちは、さまざまなご縁と御恩をいただいて、今この世に生かされています。その御恩に対して「ありがとう」と感謝する。
そして、生かされている命の不思議に感動する。これを「三感王」と言うのです。
「恩を感じ、恩に報いる」という心を呼びさまし、生活のなかに「おかげさま」の心を育てたいものです。
恩を忘れた日々は、とげとげしく陰鬱であり、恩に目覚めた生活は、明るく朗らかです。
三感王を目指して「生きて身を蓮の上に宿さずば、念仏申す甲斐やなからん」と西山上人が勧められた、喜びの念仏の生活を送らせていただきましょう。 合掌十念