大覚寺のご紹介

人生を健やかに生きていくための説法を
毎月、御紹介していきたいと思います。

2018年(平成30年)2月のミニミニ法話・お説教

2018年(平成30年)2月

玄禮和尚のお説法

2018年(平成30年)2月

~ 第119回 「供 養」 ~

 元文化庁長官で心理学者の河合隼男先生(2007年没)が、かつて書いておられた話です。

「世の中には働きたいと思っても働けない人もいるし、身体や精神の障害があるために、なかなか働けないという人もあります。

ある病院に入院していて、その病院の中での軽い作業ならできるという人が、次のようなことを言われた。

『自分は最近母をなくしました。今、自分は何の収入もないので、亡くなった母に何もしてあげられません。

けれど、病院の中の作業でお年寄りのために、オムツをたたむという仕事くらいならできます。

その、オムツをたたむ仕事をしている時、オムツの一つ一つを扱うのが母への供養だと思ってやっているのです』というのです。

この方の母を思う気持ちの深さに打たれたけれど、それに加えて思ったことは、この病院の中で、おそらく寝た切り等と言われている年寄りの方々が存在するだけで、この青年の母への供養に貢献しておられるということです。」

 なにもせずに寝ていてオムツを替えてもらっているだけ、と思う人もあるだろう。

けれど、そのようなお年寄りの一人一人の魂が、母を亡くした人の心を慰め、その供養に日夜参加している、というイメージが見えてきます。

世話をされているだけではないのです。世話をしている人の供養に参加しているというのです。

毎日働けるのは有難いことです。それによって私たちはお金や物や多くのものを得ています。

けれど「誰かの供養のために、本当に参加する、などということをしているだろうか、」と河合先生はおっしゃるのです。

 「もし仏子、一切の疾病の人を看ては、まさに供養すること、仏のごとくなるべし」とお経のなかに説かれています。

仏子というのは、仏の教えを信ずる人、仏弟子、という意味があります。

「仏弟子たちよ。病気の人を看るには、仏に供養するように介護するべきである」と釈尊は述べられているのです。味わうべき言葉だと思います。

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