大覚寺のご紹介

人生を健やかに生きていくための説法を
毎月、御紹介していきたいと思います。

2018年(平成30年)3月のミニミニ法話・お説教

2018年(平成30年)3月

玄禮和尚のお説法

2018年(平成30年)3月

~ 第120回 「生き甲斐の旅路」 ~

 3月の法話  中 西 玄 禮  私は今年で七十七歳、世間でいう「喜寿」です。それにしても人間、美しく年を重ねるというのは難しいことですね。

 かつて谷川徹三という哲学者がおられました。平成元年に九十四歳で亡くなったのですが、亡くなる直前まで仕事をしていた、と言われています。

難しい哲学を普通の言葉で書ける方で、哲学や文芸評論に幅広い活動を続けられました。眉は長く、眼光鋭く、髭を蓄え、背筋はしゃんと伸ばし、大変お洒落な方でした。

健康のことから、コーヒーが胃に良くないという話になった時、「混じりもののない、本物のコーヒーを飲みなさい」とピシャリという人でした。

この方の著書の中に「九十にして惑う」というのがあります。この題名が愉快ですね。

論語では「四十にして惑う」といい、四十才を「不惑」というのですが、四十どころか卆寿という九十歳にしてなお惑う、というのです。この本の後書きにこう書かれています。

「私は生涯を通じて、いつも少年の時と同じように考えたり、感じたり努力をしてきた。本能的に、円熟の人になるまいと心がけてきた。」

これが谷川徹三という人の「老いない人生観」なのですね。自己に対する飛び越えた厳しさ。癌を乗り越え、心をピカピカに磨き上げるその物凄さ。

私達も、人生の最期にたどり着いた時、「自分はこの世でやるだけのことはしてきた」と言い切れる、生き甲斐のある生き方をしたいものです。

人間、生き甲斐があるかどうかの証しとして三ついわれています。

一つは、生きていて良かったという実感があるかどうか。
二つは、人や物に「有難い」という感謝の念が持てるかどうか。
三つは、自分はやるぞ、という「やる気」があるかどうか。
これが決め手だといわれています。

 生き甲斐と言うのは、幸せの代名詞といってよく、それを手に入れるためには、これから何かをしようとする仕事を天職と心得て、それに最善を尽くして努力することでしょう。

「東へも、西へも行かんと思い、ひと足ずつ運べば必ず行きつくものなり」
鈴木正三という人の言葉です。

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