2008年(平成20年)8月のミニミニ法話・お説教
2008年(平成20年)8月
~ 第005回 「お盆は生命の祭典」 ~
広島、長崎の原爆忌に敗戦の日、そしてお盆。
8月は日本人にとって戦争と死者とに思いをめぐらす月です。
作家の向田邦子さんのエッセイに「字のない葉書」というのがあります。
終戦の年の4月。小学校1年生の妹が疎開をした、それを題材にした文章です。
1年生になったばかりの妹は、まだ字が書けません。疎開先へ出発の前の夜。父親は、たくさんの自分宛の宛名を書いた葉書を、妹に渡します。そして
「元気な日は、マルを書いて、毎日ポストに入れなさい」と教えました。
疎開地に着いた日は、地元の人が赤飯やお餅で歓迎してくれましたから、最初の葉書には大きな威勢のいい○が書いてありました。
でも、次の日からはマルはだんだん小さくなって、やがて×になりました。
まもなく、×の葉書も来なくなり、三ヶ月目に迎えに行ったら、百日咳にかかって、シラミだらけの頭で寝かされていたのです。それ で、とうとう妹は家に引き取られます。
「帰ってきたよ!」
の声に、父は裸足で表に飛び出して、痩せた妹の肩を抱いて、ただ泣いていた。
という内容のエッセイです。
子供に辛く、親にとっても苦しく悲しい時代だったのですね。
その戦争も終わって63年。空襲もありません。赤紙も疎開もありません。
戦後生まれの団塊の世代も、還暦を迎えています。あのときの安堵感、胸の奥底からの平和の有難さを知る世代は、年々少なくなっていきます。
だからこそ、戦争の虚しさ、残酷さと、平和と生命の尊さを次の世代に語り継いでいかねばなりません。
「人の、生を受くるは難く、やがて死すべきものの、今生命あるは有難し」
釈尊の教えです。
8月15日。お盆であり、終戦記念日。
終戦を記念するのではなく、報われることなく戦死した人々に哀悼の誠をささげる「追悼の日」であり、平和を祈念する日でありたいと思います。
そして、今命あることの有難さを心に刻む日でなければならぬ、と思います。
8月は日本人にとって戦争と死者とに思いをめぐらす月です。
作家の向田邦子さんのエッセイに「字のない葉書」というのがあります。
終戦の年の4月。小学校1年生の妹が疎開をした、それを題材にした文章です。
1年生になったばかりの妹は、まだ字が書けません。疎開先へ出発の前の夜。父親は、たくさんの自分宛の宛名を書いた葉書を、妹に渡します。そして
「元気な日は、マルを書いて、毎日ポストに入れなさい」と教えました。
疎開地に着いた日は、地元の人が赤飯やお餅で歓迎してくれましたから、最初の葉書には大きな威勢のいい○が書いてありました。
でも、次の日からはマルはだんだん小さくなって、やがて×になりました。
まもなく、×の葉書も来なくなり、三ヶ月目に迎えに行ったら、百日咳にかかって、シラミだらけの頭で寝かされていたのです。それ で、とうとう妹は家に引き取られます。
「帰ってきたよ!」
の声に、父は裸足で表に飛び出して、痩せた妹の肩を抱いて、ただ泣いていた。
という内容のエッセイです。
子供に辛く、親にとっても苦しく悲しい時代だったのですね。
その戦争も終わって63年。空襲もありません。赤紙も疎開もありません。
戦後生まれの団塊の世代も、還暦を迎えています。あのときの安堵感、胸の奥底からの平和の有難さを知る世代は、年々少なくなっていきます。
だからこそ、戦争の虚しさ、残酷さと、平和と生命の尊さを次の世代に語り継いでいかねばなりません。
「人の、生を受くるは難く、やがて死すべきものの、今生命あるは有難し」
釈尊の教えです。
8月15日。お盆であり、終戦記念日。
終戦を記念するのではなく、報われることなく戦死した人々に哀悼の誠をささげる「追悼の日」であり、平和を祈念する日でありたいと思います。
そして、今命あることの有難さを心に刻む日でなければならぬ、と思います。