2008年(平成20年)9月のミニミニ法話・お説教
2008年(平成20年)9月
~ 第006回 「少欲知足」 ~
山岡荘八さんの小説「吉田松陰」の中に、
「目先の愛に溺れて、子供の欲するままにオモチャを与えていくことは、時にその子供の幸福の扉を、親自らの手で閉ざすことになりかね ない」 という文があります。
吉田松陰の父は、幼い兄弟をうるさがらずに、いつも畑へつれていきました。それは無言のうちに父親がどのようにして生きているかを教えようとしているの ですね。
松陰の生活は、いつも暗いうちに起きだして馬の草を刈りにいくことから始まるのです。
そんな時に真っ先に松明をかざして山道を行くのは、松陰の兄の梅太郎でした。その次に細い足を忙しく動かして ついていくのが幼い松陰でした。
「こんな風にして育てられた子供が、両親を軽蔑したりするはずはなかった。」 というような言葉もありました。 一つの仕事をこのようにして親と子が一緒になって、それぞれの能力に応じて背負いあっていくような家族の中で、人間らし い思いやりや、相手の心を察するこころが育っていくのです。
自分の年齢や能力や体力に応じて、できることをさせていただくことで、分に応じて足ることを知る健全な心が育っていくのです。生き ることの大変さと喜びとが判ってくるのです。
今、与えられているものに満足し、感謝できる人は、必ず幸せがもたらされるのだ、ということを、親自らが教えていく必要があります ね。
足ることを知る人にのみ、この世は豊かである。
むさぼり心や惜しみ心を離れた者にとってのみ、この世はうるわしい。(法句経)
「目先の愛に溺れて、子供の欲するままにオモチャを与えていくことは、時にその子供の幸福の扉を、親自らの手で閉ざすことになりかね ない」 という文があります。
吉田松陰の父は、幼い兄弟をうるさがらずに、いつも畑へつれていきました。それは無言のうちに父親がどのようにして生きているかを教えようとしているの ですね。
松陰の生活は、いつも暗いうちに起きだして馬の草を刈りにいくことから始まるのです。
そんな時に真っ先に松明をかざして山道を行くのは、松陰の兄の梅太郎でした。その次に細い足を忙しく動かして ついていくのが幼い松陰でした。
「こんな風にして育てられた子供が、両親を軽蔑したりするはずはなかった。」 というような言葉もありました。 一つの仕事をこのようにして親と子が一緒になって、それぞれの能力に応じて背負いあっていくような家族の中で、人間らし い思いやりや、相手の心を察するこころが育っていくのです。
自分の年齢や能力や体力に応じて、できることをさせていただくことで、分に応じて足ることを知る健全な心が育っていくのです。生き ることの大変さと喜びとが判ってくるのです。
今、与えられているものに満足し、感謝できる人は、必ず幸せがもたらされるのだ、ということを、親自らが教えていく必要があります ね。
足ることを知る人にのみ、この世は豊かである。
むさぼり心や惜しみ心を離れた者にとってのみ、この世はうるわしい。(法句経)