大覚寺のご紹介

人生を健やかに生きていくための説法を
毎月、御紹介していきたいと思います。

2009年(平成21年)12月のミニミニ法話・お説教

2009年(平成21年)12月

玄禮和尚のお説法

2009年(平成21年)12月

~ 第021回 「女は三度老いを生きる」 ~

 朝晩の冷気がひとしお身に沁みますね。
紅葉前線が駆け足で、山から里へ駆け抜けていきました。わが寺の紅葉も盛りを過ぎました。
カレンダーも残り少なくなりました。

 行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
 よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
 世の中にある人と、棲み家とまたかくのごとし。

鴨長明が綴った「方丈記」を思い出します。
 仕事柄、お年寄りから、老後のさまざまな悲しみや苦しみを聞かされたばかりではありません。
人生八十年時代の今、私たちが克服しなければならない課題。

それは、貧困・病気・孤独・無為。この四悪だといいます。
貧しさと、病と、一人ぼっちの寂しさと、なにもすることがないという悲しさ。

 人間には「老い」は必ずやってきます。いま青春を謳歌する若者も、いつか老います。
 だれもが、美しく老いたいと願っています。

 では、人間はいったいいつ老いを意識し、こころの備えを持つのでしょうか。
 ある女性評論家の書かれたものの中に、「女は三度老いを生きる」とありました。

女性が三度直面する老後。その最初は親の老後。二度目が夫の老後。当然ながら最後は自らの老後、だというのです。わたしたちは、それをお手本なしで、自分 の力で切り抜けてゆかねばならないのですね。

 三度直面する老後への備えは、充分ですか。
   老いを知らぬは、若さの昂ぶり。
   病を忘れているのは、達者の油断。
   死を問わぬは、生きている驕り。

さらに、次のような言葉もあります。
   生まれたときは、喜ばれ、
   老いては、嫌われ
   病んでは、あきられ
   死んでは、忘れられ
   -----であってはならない。
どうですか。自分自身の問題なんですね。
 
 
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