2009年(平成21年)2月のミニミニ法話・お説教
2009年(平成21年)2月
~ 第011回 「見えぬものでも あるんだよ」 ~
仏さまのお慈悲というのは、たとえば人間世界でいえば愛情のようなものです。
それはどこにあるのか、と尋ねられても「はい、ここですよ」と取り出すわけにはいきません。けれど、その存在を科学的に証明できないからといって、無い、ということもいえません。
イギリスの化学者であり物理学者のファラデーは、電気分解の法則を導いたことなどで有名な人です。
ある日のこと。研究室に集まった学生を前にして、一本の試験管を示してこういいました。
「この中には、ある母親が流した涙が入っている。化学の学生である君たちは、この涙を分析すれば、ただの水分とわずかな塩分から成り立っていることを知るだろう。しかし、この涙はH2Oとわずかな塩分だけだろうか。
いや、それだけではない。水分と塩分のほかに、化学では絶対に分析することのできない尊い愛情がこもっている、ということを忘れてはいけないよ。」
学生たちはみな、素直にうなづいたといいます。
愛情は涙のように、人の心と心を結びつける潤滑油のようなものです。
その存在に触れないで一生終わってしまうのでは、人間として誠にさびしい。
青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星は目にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ。
見えぬものでもあるんだよ。
金子みすずさんの「星とたんぽぽ」という詩の一節です。
家族同士が殺しあう殺伐とした時代のなかで、見えないもののなかにこそ本当の大切なものがあることを、この詩は訴えています。目にみえぬ「やさしさ」や「おもいやりの心」を、今こそ見つめなおさなければなりません。
仏心とは大慈悲心のことである。
平等の慈悲をもって、あらゆる人々をすくい取るはたらきである。
観無量寿経の中の言葉です。
たとえ目に見えなくとも、人の世を生きていくうえで尊いもの。
それが愛情であり、仏の慈悲であると教えているのです。
それはどこにあるのか、と尋ねられても「はい、ここですよ」と取り出すわけにはいきません。けれど、その存在を科学的に証明できないからといって、無い、ということもいえません。
イギリスの化学者であり物理学者のファラデーは、電気分解の法則を導いたことなどで有名な人です。
ある日のこと。研究室に集まった学生を前にして、一本の試験管を示してこういいました。
「この中には、ある母親が流した涙が入っている。化学の学生である君たちは、この涙を分析すれば、ただの水分とわずかな塩分から成り立っていることを知るだろう。しかし、この涙はH2Oとわずかな塩分だけだろうか。
いや、それだけではない。水分と塩分のほかに、化学では絶対に分析することのできない尊い愛情がこもっている、ということを忘れてはいけないよ。」
学生たちはみな、素直にうなづいたといいます。
愛情は涙のように、人の心と心を結びつける潤滑油のようなものです。
その存在に触れないで一生終わってしまうのでは、人間として誠にさびしい。
青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星は目にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ。
見えぬものでもあるんだよ。
金子みすずさんの「星とたんぽぽ」という詩の一節です。
家族同士が殺しあう殺伐とした時代のなかで、見えないもののなかにこそ本当の大切なものがあることを、この詩は訴えています。目にみえぬ「やさしさ」や「おもいやりの心」を、今こそ見つめなおさなければなりません。
仏心とは大慈悲心のことである。
平等の慈悲をもって、あらゆる人々をすくい取るはたらきである。
観無量寿経の中の言葉です。
たとえ目に見えなくとも、人の世を生きていくうえで尊いもの。
それが愛情であり、仏の慈悲であると教えているのです。