大覚寺のご紹介

人生を健やかに生きていくための説法を
毎月、御紹介していきたいと思います。

2009年(平成21年)9月のミニミニ法話・お説教

2009年(平成21年)9月

玄禮和尚のお説法

2009年(平成21年)9月

~ 第018回 「天上の赤い花」 ~

 「曼珠沙華抱くほど採れど母恋し」 
 中村汀女さんの句です。亡き母の墓地に群れて、火のように燃えている曼珠沙華の花が思いうかびますね。

 普段は忘れているが、秋の彼岸が近まってくると、不思議な緑色の茎がまっすぐに伸びてきて、赤い花が開いて「さあ、お彼岸ですよ」と、毎年教えてくれる 彼岸花。

天上から飛んできて、いきなり咲いたのでは、と思えるほど、土手やあぜを彩るこの花。
別名、曼珠沙華。「天上の赤い花」という意味があります。自然の正確な営みに驚きます。

 お盆とともに、生活の中にすっかり定着しているお彼岸。春も秋も、春分、秋分の日を中心に、前後七日間を「彼岸会」と呼んでいます。

春分の日は、自然をたたえ、生物を慈しむ。秋分の日は、祖先を敬い、亡き人を偲ぶ、と法律に定められています。

春分・秋分の日は、昼と夜の長さがほぼ同じ。太陽が真東から昇って、真西に沈むことはご存知の通り。こんな自然現象になぞらえて、左右いずれにも偏らぬ 「中道」を歩む仏道実践の週間なのです。

 彼岸というのは、仏教でいう川の向こう岸。理想の世界、悟りの世界を表します。
二十三日のお中日をはさんで前後七日間。それぞれの家庭でも、お寺にお参りしたり、先祖のお墓にお参りして、亡くなった人を偲びます。

 平安時代の始めに朝廷で始まって、江戸時代には広く普及して年中行事になりました。
仏前にお花や食物などを供えて、故人の冥福を祈ります。

追善供養をすれば、そのご利益の七分の一は亡くなった人にもたらされて、残りの七分の六は施した人が受け取ることができる、と説いた経典もありますが、供 養というものはそんな見返りを期待するのではなくて、自らの生き様を振り返るためにあるのだと考えたいですね。

 亡き人の心を思い、「もしその人が今もいたら、安心し喜んでくれるような毎日を送る努力をしたい」。
そんなふうに自分に言い聞かせて自己反省の機会にできれば、お彼岸の行事はさらに大きな意義が生まれてくると思います。

 彼岸に対して、今のこの私たちの世界を「此岸」といいますけれど、現世に生きる私たちが少しでも住みやすい此岸を作るように努力する。
 それが最高の供養でしょうね。
 
 
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