2010年(平成22年)10月のミニミニ法話・お説教
2010年(平成22年)10月
~ 第031回 「月に想う」(花信風法話・6) ~
秋は月の美しい季節です。幸いにも、今年の9月22日の十五夜の月は、永観堂の境内で見ました。多宝塔の上に輝く月を、放生池の
橋に腰掛けて眺めるという優雅でぜいたくな月見でした。
月にちなんだ歌を一つ紹介しましょう。
「おおてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもえ」
秋艸道人・会津八一氏の歌です。大和の唐招提寺を歌った見事な歌ですね。
ある本に「唐招提寺の月は、金堂の東の方から昇ってくる。戒壇のある小高い土地に立って、はるかに金堂の方を眺めると、金堂の東の方からオレンジ色の月が 昇ってくる。それはまるで別世界の景色を見るような異常な美しさである。」と書かれています。
おおてらのまろきはしら、というのはもちろん、唐招提寺の金堂の前に、横一列にずらりと並んでいるエンタシス型の八本の丸い柱を指しています。
ご承知のように、この寺は唐の国から来た鑑真和上によって建てられました。金堂の前に横一列に丸い柱を建て並べるという建築様式は、明らかにギリシャ神殿 に見られる様式です。ギリシャ・ローマを中心とする地中海文明は、会津八一氏がもっとも心惹かれていたといわれています。
この短い歌には、ヨーロッパの文化や地中海文明だけでなく、授戒の師を求めて命を賭して唐へ和上を迎えにいった普照・栄叡の二人の若い僧、来朝までに五度 も渡海に失敗し、来日できた時は失明していた鑑真和上。
そういうさまざまなことを、秋艸道人は月に照らされた柱の影を踏みながら考えていたのです。「仏法のためなり。なんぞ命を惜しまん」と固い決意で身命を顧 みず渡来した熱意に、道人も深く心に感ずるものがあったのだと思います。
今月25日、宗派の全国寺庭婦人の方々と唐招提寺にお参りします。十三夜は過ぎていますし、夜まで滞在できないので、金堂の月を見ることができないのは 残念です。
しかし、長い年月をかけて解体復元された金堂にお参りし、丸い柱に手を触れてみるのも楽しみですし、なによりも開山堂の鑑真和上のお像に詣でることができ れば有難いことです。
月にちなんだ歌を一つ紹介しましょう。
「おおてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもえ」
秋艸道人・会津八一氏の歌です。大和の唐招提寺を歌った見事な歌ですね。
ある本に「唐招提寺の月は、金堂の東の方から昇ってくる。戒壇のある小高い土地に立って、はるかに金堂の方を眺めると、金堂の東の方からオレンジ色の月が 昇ってくる。それはまるで別世界の景色を見るような異常な美しさである。」と書かれています。
おおてらのまろきはしら、というのはもちろん、唐招提寺の金堂の前に、横一列にずらりと並んでいるエンタシス型の八本の丸い柱を指しています。
ご承知のように、この寺は唐の国から来た鑑真和上によって建てられました。金堂の前に横一列に丸い柱を建て並べるという建築様式は、明らかにギリシャ神殿 に見られる様式です。ギリシャ・ローマを中心とする地中海文明は、会津八一氏がもっとも心惹かれていたといわれています。
この短い歌には、ヨーロッパの文化や地中海文明だけでなく、授戒の師を求めて命を賭して唐へ和上を迎えにいった普照・栄叡の二人の若い僧、来朝までに五度 も渡海に失敗し、来日できた時は失明していた鑑真和上。
そういうさまざまなことを、秋艸道人は月に照らされた柱の影を踏みながら考えていたのです。「仏法のためなり。なんぞ命を惜しまん」と固い決意で身命を顧 みず渡来した熱意に、道人も深く心に感ずるものがあったのだと思います。
今月25日、宗派の全国寺庭婦人の方々と唐招提寺にお参りします。十三夜は過ぎていますし、夜まで滞在できないので、金堂の月を見ることができないのは 残念です。
しかし、長い年月をかけて解体復元された金堂にお参りし、丸い柱に手を触れてみるのも楽しみですし、なによりも開山堂の鑑真和上のお像に詣でることができ れば有難いことです。