大覚寺のご紹介

人生を健やかに生きていくための説法を
毎月、御紹介していきたいと思います。

2010年(平成22年)11月のミニミニ法話・お説教

2010年(平成22年)11月

玄禮和尚のお説法

2010年(平成22年)11月

~ 第032回 「共に是れ凡夫のみ」(花信風法話・7) ~

  
 ある中学校に赴任したばかりの校長先生が、通りすがりに畑でイチゴを盗む生徒を二人見つけたのです。思わず傍によって声を掛けました。

「おい!俺も仲間に入れろ」
 驚いて走り去ろうとする生徒を「逃げるな!」と止めて、一緒にイチゴをとり始めました。

「見つかったらどうしよう」ドキドキしながら、「おい、蔓を引張るな。爪でもぐんだぞ。もっと背を低くしろ!」などと校長自身が泥棒の指導をしているので す。

案の定、畑の持ち主に見つかりました。「にげろ!」三人は三方に散って走り、何とか逃げおおせましたが、翌日、校長先生は相応のお金を差し出して、持ち主 に深々と頭を下げていいました。「泥棒は私でした」。

 このことが広まりましたが、校長先生は頑として生徒の名を明かしませんでした。けれど担任の先生にはわかっていたのです。それ以来、札付きのワル二人が 眼に見えて明るく、生き生きとしてきたからです。

 皆に熱望されて赴任したその中学は、県下でも三大暴力校といわれるほどの学校であったそうです。けれど、新任の校長は、そんな暴力に屈しなかったのです ね。

行いの悪い子、成績のよくない生徒を特に眼を掛け、叱る時は本気で叱り、鍛えるときは本気で鍛える。特に他人への愛、全力投球、損得を考えない、などを繰 り返し語り、スポーツに力を入れて、気がついたらいつの間にか暴力は学校から完全に消えていた、というのです。

 以前、新聞で読んだ記事ですが、あなたはどのように受け止められますか。
「我、必ずしも聖にあらず、彼、必ずしも愚にあらず。ともに是れ凡夫のみ」
聖徳太子のことばです。これが教育の原点なのですね。

 口うるさく説教してみても効果は少ないのです。親や教師が人間として、大人として「共に凡夫」の自覚を持ちがんばっている姿が、生徒たちに人生を教える ことになるのですね。
もちろん、僧侶にとっても大切な教えであることは、言うまでもありません。 
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